「徹底」「謙譲」そして「情熱」

パブロフ

きょうは条件反射の理論を確立したソ連生理学者 イワン・パブロフ(Ivan Petrovich Pavlov)の誕生日だ。
1849(嘉永2)年生誕〜1936(昭和11)年逝去(86歳)。

ソ連邦リャザンに牧師の子として生まれた。
神学校に進んだが自然科学、医学を志向し、1870年21歳の時 ペテルブルグ大学物理数学部へ入学、ツィオン( E・ F・Cyon)のもとで外科的手法を体得し、1874年25歳の時 外科医学校(後の軍医学校)に編入学した。

同校を卒業後ドイツへ留学しハイデンハイン(R・P・Heidenhain)のもとで血管の神経支配を研究、翌年 軍医学校に帰り、ボトキン(S・P・Botkin 内科医)の臨床研究室で神経調節の基礎的研究に没頭した。1883年34歳の時「心臓の遠心性神経」の研究で学位を得た。
この初期の段階で早くも生涯を貫く研究に対する視軸を確立した。第一は、目的の機能が観察しやすいように手術をしておいて、実験の時には自然のままの動物を用いること。第二は、個々の器官に固有な機能の神経調節について"全体としての生体の利益"という面からも考えること。

再度ドイツへ留学(1884〜85年)、循環系の神経調節を研究して帰国、それ以後は消化生理学に専念した。
以前から行っていた瘻孔(ろうこう:皮膚・粘膜や臓器の組織に、炎症などによって生じた管状の穴)法に加えて、偽飼養法(1890)、小胃法(1894)などを案出、単に無拘束での観察というに止まらず、純粋な消化液の採取に成功した。

これによって分泌の諸相が明らかになり、さらに消化管粘膜に触れる物質の特質に応じて目的にかなった組成の消化液が分泌される「適応分泌」の機構と概念が確立された。観察を重ねているうちに、「音とか形とか匂いのように遠くから作用する動因でも、"動物の注意をひく"ものは、消化液の分泌をもたらす」という"思いもかけぬ"事実に逢着(ほうちゃく:行き当たること)した。

この間、1891年42歳の時には、「ペテルブルグ実験医学研究所」が設立され生理学部長となり、1895年46歳の時には、軍医学校の生理学教授に迎えられた。1897年 第一の主著が出版され、世界的に名声を馳せ、消化液分泌の神経支配に関する研究で1904年55歳でのノーベル賞受賞となった。

この中期の研究では初期の特徴に加えて、青年時代に大きな影響を受けたセテェノフ(I・M・Siechenoff)の思想である"個体と環境との一体的統一"という命題に対し、「精神的分泌」という新事実を提挙して第三の視軸を確立した。

今世紀に入り、その名を不朽にした「高次神経活動の客観的研究」をした。1902年に唾液が口の外に出るよう手術した「パブロフの犬」で唾液腺を研究中、飼育係の足音で犬が唾液を分泌している事を発見、そこから「条件反射」の実験を行った。その内容は1924年75歳の時に軍医学校で行なった連続講義に詳述された(第二の主著)。

「条件反射」とは、2種類の刺激が対提示されたときに生じる学習過程であり、「パブロフ型条件づけ」、または「レスポンデント条件づけ」と呼ばれる。
犬の目の前に餌を置くと唾液が出るのは、餌→唾液で学習しなくても生じる自然的な反応。つまり、この場合では餌は「無条件刺激」となる。(無条件反応)

しかし、餌を与える前にメトロノームの音を提示して音→餌→唾液という反応を繰り返していると、メトロノームの音を提示しただけで唾液を出すようになる。これは学習しないと起こらない反応なので、音は「条件刺激」、音によって唾液の分泌が増える反応を「条件反応」と呼ぶ。

しかし、メトロノームの音のあとに餌を与えないでいると、当然ながら、この条件反応はだんだんと消えてしまう。(消去の過程)

パブロフのいう「客観的研究」とは、その状況下で起こっている大脳皮質過程を法則的に把えようとするものだ。したがって試行錯誤を「混乱反応」とよぶほどに対象の主観に立ちいった表現は排するが、複雑な「精神現象」を上記の生理学的法則で統一しようとする努力には終始積極的であった。

1907年58歳の時に科学学士院会員となり、革命の時にもその研究室を守りぬいた。1921年72歳から1936年に肺炎で死ぬ前年まで続く「水曜日の集談会」の記録はその批判精神と創造の過程がうかがえる貴重な文献である。

1924年に出版された第三の主著「客観的研究20年」は、初版当時は39篇の講演集であったが、改版のたびに増補され、1951年版では65篇の講演が収められた。追加分は、心理学、実験病理学、精神医学、言語などの研究に関する晩年の思索の果実である。パブロフの信条は"「徹底」「謙譲」そして「情熱」"であった。

イワン・パブロフは、「条件反射」を発見し、実験的な大脳生理学の道をひらいた。また「唯物論的心理学」の基礎を築いた。ねばり強い実験家で、晩年には言語も高次の条件刺激とする説を展開した。多くの門弟が輩出し、条件反射の研究は、国外ではとくに日本の生理学界とアメリカの心理学界で盛んとなった。

スポーツ選手によく見受けられるそうだが、はじめは競技をする事自体が楽しかった(精神的報酬)選手が、優勝してトロフィーを貰ったり、賞状をもらったりして成績を残す事(物質的報酬)が目的になってしまった時からスランプに陥ったり壁にぶつかったりする。やはり物理的報酬より、精神的報酬が大切なのだ。

企業においても、お金や出世だけが目的になってしまうと、客観的な評価に満足できなくなり、会社や上司を恨んだりして壁にぶつかってしまう。
やはり、自分自身で努力すれば達成できる目標も設定し、それを満たすことで達成感を味わうことが重要である。


パブロフのことば
  「事実は科学者にとっての空気だ。空気なしでは決して飛べない」


パブロフの本
  大脳半球の働きについて〈上〉―条件反射学 (岩波文庫)、下
  条件反射とはなにか―パヴロフ学説入門 (ブルーバックス 240)