素直に受け入れる環境

ルリア

きょうはイタリア生まれのアメリカの分子遺伝学者 S・E・ルリア(Salvador Edward Luria)の誕生日だ。
1912(大正元)年生誕〜1991(平成3)年逝去(78歳)。

イタリアのトリノユダヤ系イタリア人として生まれた。トリノ大学医学部を卒業したが、臨床医学部への道へ進まずに基礎生物学、特に細菌に感染するウイルスであるバクテリオファージ(大腸菌など特定の細菌を攻撃するウィルスで、遺伝情報の研究など分子生物学には必須の材料)の研究を始めた。

1938年26歳の時から1940年28歳にかけて、フランス パリの「ラジウム研究所」のキュリー研究室で研究をおこない、ファージに放射線をかけると不活性化されて増殖が阻止される現象についての論文を発表した。
ナチスのフランス侵攻でアメリカに亡命した。
1940年頃、物理学出身のデルブリュックと共にバクテリオファージの研究グループをつくり、その増殖機構や突然変異の仕組みを解明した。
1943年31歳の時から1950年38歳までインディアナ大学助教授として細菌学の研究を続けたが、その頃の学生のひとりにDNA分子のラセン構造モデルを提唱したジェームス・D・ワトソンがいた。

イリノイ大学微生物学教授を経て、1959年47歳の時、マサチューセッツ工科大学(MIT)の生物学・微生物学教授となった。

1947年に、ルリアはファージの突然変異体の出現機構の研究において、1個の大腸菌に紫外線で不活性化されたファージを多数感染させると活性ファージが多数作られる現象を見出し、これを「多重感染による再活性化現象」と名づけた。

細菌にファージが感染するときにはファージDNAのみが菌体内に注入されるという研究(1952年)や、ワトソン・クリックのDNA分子のラセン構造モデルの提出(1953年)以前に、ルリアは先駆的な分子生物学ならびにウイルス学の基礎となるべき研究をしていた。

このようなルリアのファージの遺伝学的研究は、必然的に宿主細胞の遺伝学的研究とも密接な関連をもっており、両者の間の遺伝的相互作用について溶原化変化を指標として詳細な研究がすすめられた。

デルブリュックとハーシェイと共に、1969年度のノーベル医学・生理学賞を受賞。
ノーベル賞受賞業績:ウイルスの複製機構と遺伝的構造に関する発見(The replication mechanism and the genetic structure of viruses)

S・E・ルリアは、イタリア生まれたあとフランスで研究し、その後アメリカに亡命している。学問や研究はどこででもできるということだろうが、外国人を素直に受け入れる環境が整っているかどうかは大きい問題だろう。

企業においても、男女や学歴、宗教などの違いは当然クリアしなければいけないが、今後は国籍の違いによる対応も大きな問題になってくるだろう。グローバルな商売をしようとするなら、考え方もグローバルでなくてはいけない。


ルリアの本
  分子から人間へ―生命・この限りなき前進 (教養選書)
  分子生物学への道