なぜ中途半端な幸福など
きょうは耐え抜く女性を書いた小説家 大原富枝(おおはら とみえ)の誕生日だ。
1912(大正元)年生誕〜2000(平成12)年逝去(87歳)。
高知県長岡郡吉野村(現 長岡郡本山町)に尋常小学校校長の父 亀次郎・母 米の次女として生まれる。あまりにも病弱の子であった。その地では体の弱い子は「ふでご」といって、丈夫な子を育ててきた家に預ける習わしがあったらしく、大原も近くの農家に名前を「はな」と変えて「ふでご」として預けられた。
1923(大正12)年11歳のとき母が亡くなった。
成績のよかった大原は高知女子師範に進みたかったが、そのころは高知在住者しか師範には入れなかったので、まず高知市立の高等小学校に入るために親戚の浜田家に寄留入籍をし、またまた名前を「浜田富枝」と変えた。
そして1927(昭和2)年15歳のとき高知女子師範学校に入学した。
女子師範は全寮制だったが、奔放な大原はそれに馴染めなかったのか体調を壊し、4年生のときに教室で血を吐き入院した。それから10年が吉野村の自宅での結核療養生活になった。この時代の結核は“死の病い”であったが、18歳から28歳まで、大原は自宅に籠もって、ひたすら文筆に生きることに賭けた。
1933(昭和8)年21歳のとき初めて投稿した。1938(昭和13)年26歳の時『姉のプレゼント』が「令文界」に入選した。また戦時下の農山村に生きる女性たちの、ひたむきな愛の姿を描いた『祝出征』を保高徳蔵の主宰する「文芸首都」に発表、芥川賞候補となった。ここは芝木好子や田辺聖子や佐藤愛子を輩出した登竜門で、のちに なだ・いなだ、中上健次、津島佑子も加わっている。
1941(昭和16)年29歳の時、作家としての「器世間(きせけん:人間などの生き物のよりどころとなる環境世界=器世界)」をこの身で感じ、創作に専念するため上京した。1944(昭和19)年32歳のとき帰郷。「野中婉」の書簡を写すため高知県立図書館に通った。
1957(昭和32)年45歳のとき父が急逝した。同年、『ストマイつんぼ』で女流文学者賞を受賞。1959(昭和34)年47歳の時『婉という女』260枚を脱稿。翌年、刊行した。これは当時の読書界を圧倒し、誰もがこんな文学があるのかと思った。第14回 毎日出版文化賞、次いで、第13回 野間文芸賞を受賞した。
1963(昭和38)年51歳の時、日本文芸家協会代表として中国を訪問した。1965(昭和40)年53歳の時には同協会の代表として「日ソ文学シンポジュウム」に参加、出席した。
大原は生き抜くために、書いた。そして取り組んだのが、土佐一条家の崩壊を描いた『於雪』(第9回 女流文学賞)で、続いての作品が『建礼門院右京太夫』だった。建礼門院は夫の平資盛を壇ノ浦に失い隠棲、やがて後鳥羽院に仕え、その主の失脚を見、最後は独り『源氏物語』の続編ともいわれる『山路の露』を綴った人だ。
大原は、野中兼山の妻を扱った『正妻』も書いた。1973(昭和48)年61歳の時『婉という女』のロシア語訳が、ソビエト作家同盟で刊行された。
1976(昭和51)年64歳の時キリスト教(力トリック)に入信。中目黒ミカエル修道院で洗礼を受けた。そしてイスラエル・ギリシアなどに巡礼をするかたわら、心の目を高みに向け、文の目を地上においた。こうして『イェルサレムの夜』『信徒の海』をへて、最高傑作『アブラハムの幕舎』『地上を旅する者』を書いた。前者で話題の「イエスの方舟」事件、後者は明治の女の弱さにひそむ強さを扱ったもの。
1990(平成2)年78歳の時、勲三等瑞宝章を受章。1998(平成10)年86歳のとき芸術院賞・恩賜賞を受賞し、芸術院会員となった。おそらく日本の作家でこんなにも透徹した生活と作品を一途に貫いた作家はいなかった。
大原は、こう語った。
「私が書く作品はあくまで『負の世界』に生きて徹するものばかりです。なぜ中途半端な幸福などを書く必要がありますか。人間は、そして女性は、最初から『負』を背負って生きてきて、『負』を埋めるために生きているものなのです」
そういう大原を文学者として早くから評価できたのは、正宗白鳥、三島由紀夫、馬場あき子、吉本隆明、そして上田三四二だった。
2000(平成12)年1月27日、『小説・牧野富太郎』を執筆・連載中、心不全で逝去。正五位に叙せられた。
大原富枝は、一貫して「女が生きるとはどういうことか」を時代や社会の問題にまで迫って描写した。それは強圧を受けながら決して折れることなく耐え抜き生き抜く女の生だった。そして、女性の豊かな情感と社会的視点は、高く評価されている。
企業においても、最初から強い立場の人と弱い立場の人はいるものだが、それがいつまでもそのままであるとは限らない。強い立場の人が一転して失脚したり、弱い立場の人でも協力し合って強い立場を得ることができる。いつまでも変わらないと思っている人は、いつの間にか淘汰されてしまう。それが現実の世界だ。
大原富枝のことば
「愛が、孤独が、世界が、もうわたしの心の傷口を洗うことはありません。
わたしはいま、風ばかり聴いています」
「抗(あらが)うことはあるときは生きることそのものであり、
生命の燃えることだと思います。抗うには能力が必要です。
抗うことでその人の能力がわかるのです」
「とにかく書きたいものだけを書く」
「立身出世する女は書けません。
弱者である女がその運命を受け入れて強く生きる姿に引かれます」
大原富枝の本
婉という女・正妻 (講談社文庫 お 6-1)
アブラハムの幕舎 (講談社文芸文庫)
地上を旅する者
建礼門院右京大夫 (朝日文芸文庫)
詩歌(うた)と出会う時