人間が人間らしく

中村草田男

きょうは萬緑を創出した人間探求派俳人 中村草田男(なかむら くさたお、本名:清一郎)の誕生日だ。
1901(明治34)年生誕〜1983(昭和58)年逝去(82歳)。

中国福建省厦門(アモイ)で父 修が領事を務めていてそこで長男として生まれた。1904(明治37)年3歳の時、母 ミネと帰国し、本籍地である四国松山市に住んだ。
その後、俳句の名門コースである松山中学、松山高等学校を経て、1925(大正14)年 東京帝国大学文学部独逸文学科に入学、のち国文科に転科した。

東京帝大卒業後、1933(昭和8)年32歳の時、成蹊高等学校(旧制)教授になった。1949(昭和24)年〜1967(昭和42)年65歳まで成蹊大学教授を務め、1969(昭和44)年68歳で名誉教授になった。
大学時代に東大俳句会に入会、水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)の指導を受けて「ホトトギス」に投句するようになった。
1929(昭和4)年28歳の時に高浜虚子に入門して本格的に俳句を勉強し始め、1934(昭和9)年には『ホトトギス』の同人になった。

同年、虚子の保守的俳句にあきたらなくなった秋桜子は、『ホトトギス』を離脱し、俳誌『馬酔木(あしび)』を主宰して独自の俳句活動を始めた。
それにつれ、加藤楸邨(かとう しゅうそん)、石田波郷(いしだ はきょう)など若手俳人も『ホトトギス』を離れ、秋桜子のもとに参集した。

草田男は『ホトトギス』を離れることはしなかったが、心情的には従来のホトトギス調花鳥風月路線にあきたらず、楸邨、波郷らの若手俳人に共感を持っていた。

やがて草田男、楸邨、波郷らは、所属結社を超えて人間の内面の表現追求を目指す創作活動をともに行うようになった。
文芸評論家 山本健吉は、このグループの俳風が人生と深く相渡ろうとする苦闘のあとを示しているところから「人間探究派」と名づけた。

1936(昭和11)年35歳の時、草田男は第一句集『長子』を出版した。
  降る雪や 明治は遠く なりにけり
草田男は叙景中心のホトトギス路線には不満があったが、他方、ホトトギスから離脱した秋桜子の感覚的でときに人工的な表現にも違和感を持っていた。

基本的にはかなりオーソドックスな句風で、その中に人生、社会を盛り込もうと努力したのが草田男の俳句だった。1939(昭和14)年38歳の時、俳誌主催の座談会に波郷、篠原梵(しのはら ぼん)らとともに参加したのがきっかけで、自己の俳風を確立していった。

同年、句集『火の鳥』を刊行した。
  萬緑の中や 吾子(あこ)の歯 生え初むる
「萬緑(ばんりょく)」という言葉は、王安石の「萬緑叢中紅一点」(あたり一面の新緑の中に赤い花が一輪だけ咲いているさま。1 多くの男性の中に一人だけ女性がいること。紅一点。2 多くのものの中にただ一つだけ目立つものが混じっていること)が出典。

この名句により、以降この言葉は夏の季題として広く認められるようになった。
人間探究派俳人 草田男の一生を代表する名作であり、また昭和を代表する句の一つといえる。

この俳句の句碑が、東京都調布市の古刹深大寺にある。草田男は1983(昭58)年82歳で亡くなったが、その少し前に傘寿を記念してこの句碑が立てられた。
草田男は五日市市在住で、また成蹊高校の教授を長く勤めたので、この地に縁があった。

当然ながら、この句は当時の俳句界にセンセーションを巻き起こし、「萬緑」という言葉は万人の賛嘆の中、盛夏の季題として定着することになった。
虚子にとってあまりよい弟子とはいえなかった草田男の始めた季題ではあるが、彼もその季題の魅力に抗せなかったのか次の俳句を詠んだ。
  萬緑の 萬物の中 大仏   高浜虚子

草田男は現代俳句の中心的存在として、1946(昭和21)年45歳の時、月刊俳誌『萬緑』を主宰した。虚子の守旧派としてのスタイルを継承しつつ俳句の現代化を推進、人の内面心理を詠むことを追求した。1960(昭和35)年に現代俳句協会幹事長、翌1961(昭和36)年「俳人協会」を設立し初代会長に就任した。

亡くなる前日、草田男は洗礼を受け、クリスチャンになった。
墓碑は東京あきる野市の五日市霊園にあるが、そこに次の句が刻まれている。
  勇気こそ 地の塩なれや 梅真白
「地の塩」とは、聖書にあり、「イエスの教えに従ったがために迫害された人は地の塩のように価値がある」という意味のようだ。

塩は、食品の味付けと保存に使われる貴重なもので、その塩のように、人間が人間らしくプライドを持ち、社会的意義を感じつつ生きるのに必要なもの、それを草田男は「地の塩」とよび、そしてそれは「勇気」であると詠んだ。

中村草田男は、大学教授を務めるかたわら俳句の道を究めていくなかで、「萬緑」という言葉を創出した。言葉だけならそれほど注目されなかっただろうが、俳句に詠むことによってその言葉の重要性を強調し、言葉の価値を高めている。

企業においても、アイデアや思いつきは重要だが、それを具体化し実行することによって、単なる思い付きが現実化し後世に残ることになる。実行が伴わなければ、はかない夢と消えてなくなってしまう。


中村草田男の本
  来し方行方;銀河依然 (中村草田男全集)
  定本 俳句入門
  俳句と人生―講演集
  緑なす大樹の蔭に―草田男曼荼羅
  わが父 草田男
わが父 草田男俳句と人生―講演集定本 俳句入門