基本になる数学が大きな力

ケインズ

きょうはイギリスの経済学者 ジョン・メイナード・ケインズJohn Maynard Keynes)の誕生日だ。
1883(明治16)年生誕〜1946(昭和21)年逝去(62歳)。

ケンブリッジ・ハーヴェイ・ロード6番地にて父 ジョン・ネヴィルケインズと母フローレンス・エイダの長男として生まれた。父はケンブリッジ大学の大学事務総長を勤め、母はケンブリッジ市の市長を務めた経験を持つなど、一流の家系に生まれた。

ケインズは幼少の頃から才能を現し始めた。4歳の時に利子を定義したエピソードは有名。5歳半になって、パース・スクール幼稚園に通い始めるが、健康不安定の為一年後には退園し、以後、1892年にトランピントン・ロードのセント・フェイス・スクールに入学するまで、家庭で教育を受けた。
彼は幼稚園児の時から既に算数の才能を見せ始めていたようだ。そして、セント・フェイス・スクール在学中に、彼の知能は校長のグッドチャイルド氏のお墨付きであった。ケインズは、周囲からの評価の高まりに伴い、1897年にはイートン校の特別給費生の資格試験を受け、全体では10位、数学では1位で合格した。翌年9月にケインズイートン校に入学した。

イートン校在学中に、彼は学問で数々の賞を受賞し、四年間で63個と言われている。また、ケインズが3年次の時にはボーア戦争が勃発し、学生間でも志願兵に関して様々な意見が飛び交う中、ケインズは志願に応じなかった。更に、イートン校時代から彼の恋愛対象はもっぱら同姓であった。

1901年ケインズケンブリッジのキングス・カレッジかトリニティー・カレッジかの選択でイートン出身者限定の奨学金を持つキングスに数学と古典を専攻して進学した。しかし、ケインズにとって数学は魅力的な学問ではなく、翌年の1902年、数学卒業優等試験第一部で第一級学位を修得した後、数学を放棄した。
彼は、学部学生時代を哲学、中世の倫理学ピーター・エイブラードの研究、ケンブリッジ大学学生クラブやユニオンでの演説活動などを満喫した。1906年には、高等文官試験で総合二位の成績で合格し、インド省に入省した。

インド省に勤務している際、彼はインドの金融制度について学び、1913年にはインドの通貨・金融に関する王立委員会の委員に任命された。1914年31歳の時、金融恐慌時に金本位制の崩壊の阻止に貢献し、翌年には大蔵省へ移った。

彼が大蔵省に勤めている間、国際経済問題として第一次世界大戦後のドイツの賠償金問題が主要だった。1917年34歳のとき借款交渉の第一回会議のためワシントンを訪れたり、パリ講和会議に大蔵省主席代表としてドイツの賠償金問題の改善策を提案したが虚しくも却下された。

1919年36歳のとき官僚生活に嫌気がさして辞職し、サセックスの田舎で『講和の経済的帰結』の執筆に専念した。この書物で彼は、ドイツに賠償金を請求を迫る結末として、戦前のヨーロッパの経済組織の破壊やドイツによる復讐戦を主張。賠償金問題の解決策として、連合国間の全ての戦時債務を棒引きにして、フランスとベルギーに対するドイツの賠償金の支払いを最小限の年額に制限して、ドイツをヨーロッパ大陸の経済的な機軸として再生させることであった。

1919年の年末にはケインズケンブリッジに戻ってきた。そこで彼は、有能な投資家としてキングス・カレッジの運営資金を投資で三倍近くにも増やした。1919年以後はケンブリッジ大学教授、ナショナル生命保険会社を代表に様々な会社での最高経営者や会長、『エコノミック・ジャーナル』の編集者、首相直属の経済財政諮問会議の委員、投機家など様々な要職に就いた。

1923年には金本位制による貨幣制度に疑問符を付けた上で、いわゆる管理通貨制度の有用性を唱えた『貨幣改革論』を出版した。また、1925年8月4日42歳で当時バレリーナだったリディア・ロコポヴァと結婚。1930年に、金本位制と失業問題の関連を複雑な概念的分析によって論じた『貨幣論』を出版。

1936年53歳の時、経済理論に多大な影響を与えたとされる名著『雇用、利子および貨幣の一般理論』を出版した。その考え方は、資本主義を続けながら、失業を救うために自由放任政策を修正しようというもので、「修正資本主義」と呼ばれ、近代経済学と資本主義国の経済政策を支えている理論的な基礎になった。

『一般理論』出版後のケインズは経済政策に対して最も影響力を持つ人物となった。1940年には、戦時問題に関する大蔵大臣のアドバイザーとして諮問会議の委員に任命され、更に大蔵省にケインズ専用の一室を設け、非常勤の大臣補佐官に就任した。
ケインズの後世は、『一般理論』を機に偉大な経済学者として、イギリスのみならず国際経済にまで影響を与える巨匠となった。

ジョン・メイナード・ケインズは、幼少の頃からすばらしく知能が高く、特に数学は優れていたが魅力が無くなり放棄するぐらいだったようだ。そして経済においてその力を発揮するのだが、基本になる数学が大きな力になっていたことは間違いない。

企業においても、経済の感覚は大切だが、ケインズが得意とした数学というより、金銭感覚とか心理学の方が大きく関係してくるはずだ。とかく人の心は移ろいやすいものだから。

◆修正資本主義◆
失業、恐慌など資本主義の諸矛盾を国家権力の介入によって緩和し、経済の民主化と社会化をはかろうとする思想、政策原理。
失業の原因を明らかにし、政府が減税・公共投資などの政策によって、市場メカニズムに任せた場合に不足する有効需要を増大させ、完全雇用と景気の回復を目指すことを示した。本来、不況と長引く失業を打開する為の一時的な政策である筈が、しばしばその政策が長期化し、財政赤字を拡大させる傾向があるという指摘もある。たとえばアメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト米大統領によるニューディール政策など。



ケインズの本
  戦後世界の形成 ブレトン・ウッズと賠償 1941~46年の諸活動 (ケインズ全集)
  戦後世界の形成 清算同盟 1940~44年の諸活動 (ケインズ全集)
  ジョン・メイナード・ケインズ―裏切られた期待 1883~1920年〈2〉
  金本位復帰と産業政策 (ケインズ全集)
  平和への移行―1944~46年の諸活動 (ケインズ全集)
  ケインズ―時代と経済学 (ちくま新書)
  ケインズの予言 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (079))
  ケインズ (講談社学術文庫)
ケインズ (講談社学術文庫)ケインズの予言 (PHP新書―幻想のグローバル資本主義 (079))ケインズ―時代と経済学 (ちくま新書)金本位復帰と産業政策 (ケインズ全集)