無くてはならない物質   

本多光太郎

きょうは冶金学者で「鉄の神様」とよばれた 本多光太郎
誕生日だ。1870(明治3)年生誕〜1954(昭和29)年逝去(84歳)。

愛知県矢作町(現 岡崎市新堀町)で生まれた。尋常小学校の頃は、「鼻たらしの光さん」と呼ばれていたようだ。初めは農業に従事したが、向学心に燃えて上京し、1897(明治30)年、東京帝国大学理科大学物理学科を卒業。大学院に進み、長岡半太郎の指導のもとで鉄族元素の磁気ひずみを研究し、さらに分子磁石説を展開した。1906(明治39)年36歳で理学博士の学位を得た。

1907(明治40)年37歳の時、ドイツ・フランス・イギリス各国へ留学し、元素磁性の測定で磁気的周期律を明らかにするなどの成果をあげた。1911(明治44)年 帰国し、東北帝国大学理科大学の開設とともに教授となった。

1914(大正3)年、第一次世界大戦が勃発すると磁石鋼の輪入が途絶したため、我が国はこれを自給する必要に迫られた。1916(大正5)年46歳の時、臨時理化学研究所第2部を東北大学に付置し、高木弘とともに強力な磁石鋼を発明し、特許権を得た(特許第32234号、大正7年)。この磁石鋼は、従来のタングステン鋼に比べて抗磁力が3倍と非常に強く、焼入硬化型の永久磁石鋼としては最強の抗磁力を有するもので、住友吉左衛門の寄付によって完成されたので、その頭文字をとってKS鋼と名付けられた。
さらに、1933(昭和8)年には、当初のKS鋼の4倍の抗磁力をもつ世界一強力な永久磁石合金である新KS鋼(NKS鋼)を発明し、特許権を得た。

臨時理化学研究所第は、1919(大正8)年に鉄鋼材料研究所、1922(大正11)年に金属材料研究所へと拡充改組し、各所長を務めた。この間、村上武次郎とともに金属物理的な手段を用いた鉄鋼学研究を始めた。従来の金属学が熱分析と顕微鏡観察を主な測定手段としていたのに対して、磁気的電気的測定を活用する物理冶金学的方法を開発、日本の金属研究の水準を高めるのに貢献し、多数の研究者を育てた。1931(昭和6)年61歳で、東北帝国大学総長に就任し、9年間務めた後、東京理科大学学長も務めた。

彼は、「鉄鋼の世界的権威者」としてその名を知られ、「鉄の神様」「磁石の神様」「鉄鋼の父(Steel Father)」などと呼ばれている。彼が人一倍努力家であったことも有名で、高等小学校のころから人の2倍、3倍かけて努力を重ねたようだ。彼の座右の銘「つとめてやむな」からも、彼が努力家だったことがわかる。

磁石と言えば、誰でも子どもの頃からなじみの深い物だが、現在の生活に無くてはならない物質のひとつで、モーターをはじめとしていろんな機械器具に使用されている。考えてみれば、地球も大きな磁石のひとつと言える。

現場改善においても、磁石というか磁気を利用した仕掛けを考えると好都合の場合がある。ただし磁石は精密機械の誤動作や磁気記憶媒体のエラーにつながることがあるので、注意を要する。

●最強の磁石●

現在最強の磁石は、希土類と鉄とボロンからなる合金磁石で、KS鋼の50倍ぐらいの磁力のようだ。
この磁石の磁気エネルギーの強さはどのくらいかというと、1万円札に磁石を近付けると紙幣が動くそうだ。それは、紙幣に含まれる微量な磁性インクに反応しているからだ。
優れた磁気特性と原料の希土類と鉄が豊富で比較的低コストである反面、耐熱性が低く使用温度に注意が必要なことと、錆びやすく表面処理が必要で用途が制限される場合があるようだ。
この磁石を使った商品を考えてみるのも面白い。



本多光太郎のことば
  「生まれたからには、世の中のためになることを一つや二つはしなくては」
  「人間は粘りだ、努力だ」


本多光太郎の本
  人生にこの言葉を持て―あなたの心に咲かせる言葉の花園
  「時代の気分」を両手でつかんだ男たち―何がベストセラー商品を生み出すのか
  この詩と名言が勇気をつけてくれる (キミのPOWER UP塾)
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  仁科芳雄 本多光太郎―基礎科学体系化なる (漫画人物科学の歴史 日本編)
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