基本は「開拓魂」である   

鳥井信治郎

きょうはサントリーを創業、洋酒王 鳥井信治郎の誕生日だ。
1879(明治19)年生誕〜1962(昭和51)年逝去(82歳)。
大阪鐘町の両替商の二男に生まれた。学校の成績は良かったが、暴れん坊のほうだったようだ。商業学校を2年修め、13歳の時、大阪・道修町の薬種問屋小西儀助商店に丁稚奉公に出た。明治時代の薬種問屋は、薬だけでなく、ブドウ酒やウイスキーも扱っていたようだ。信治郎はこの店で調合の技術を学んだが、このことが後にウイスキーづくりに欠かせない天与の資質“鳥井信治郎の鼻”をつくることとなった。
1899(明治32)年20歳で独立し、鳥井商店(後の寿屋)を起業、ブドウ酒の輸入販売をはじめた。だが、本場スペイン産のブドウ酒は日本人には「酸っぱい」と敬遠され、さっぱり売れなかった。そこで、天与の鼻を生かして開発に没頭し、日本人の口に合う甘味ワイン「赤玉ポートワイン」をつくりあげた。太陽や日の丸の国旗などからその名をとったものだが、これがヒットし一躍有名になり、利益をあげた。
大正の時代に入ると信治郎は、ウイスキーに対して野望が芽生え、1923(大正12)年10月44歳の時、全役員の反対を押し切り国産ウイスキーづくりに挑んだ。
ウイスキーの貯蔵に最適な条件を備えた京都・山崎に工場をつくり、さらに竹林の下を流れない地下水を得た。1924(大正13)年、イギリス帰りの若手技師(後のニッカウイスキー創立者 竹鶴政孝)を迎え仕込みを開始した。
1925(大正14)年46歳の時、「寿屋洋酒店」を名乗るようになり、昭和に入って、社名を現在のサントリーにした。これは、赤玉が太陽(サン)を象徴していたことから「サン」をとり、鳥井「トリイ」と合わせたという。
苦闘を重ねた末に1929(昭和4)年4月1日、待望の第1号ウイスキーサントリーウィスキー白札」が発売された。ところが、焦げ臭くお世辞にもうまいとは言えず、また価格が高いということで、全く売れなかった。翌年発売の「サントリーウィスキー赤札」も悲惨な結果に終わり、1931(昭和6)年には原酒の仕込みを中止せざるをえなかった。しかし、信治郎はそれに屈せず、原点に返って研究し直した。
1934(昭和9)年に、商人気質の鳥井信治郎と技術屋気質の竹鶴政孝があわなかったので(と言われているが)、寿屋から円満退社で独立した竹鶴政孝がニッカウイスキーを創立した。そして宣伝のサントリー、品質のニッカといわれる両社が、お互いライバル意識を燃やしながら向上していった。
やってみては考え、やってみては修正しのくりかえしの末、1937(昭和12)年、「サントリーウィスキー角瓶」が誕生。それまで売れなかった原酒がまろやかになり、大ヒットした。ここから国産ウイスキーが急成長する。
「美酒一代」「広告の天才」と呼ばれた信治郎は積極的に宣伝活動を行い、周囲の意表をついた広告を次々と採用した。日本初のヌードポスターを作るなど、問屋を喜ばせる営業の工夫も怠らず人気商品に押し上げた。
信治郎は「利益三分主義」の精神で社会・文化活動を積極的に行っている。事業利益を三分割し、①お客様へのサービス、②事業の拡大、そして③社会の恵まれない人々に還元しなければならないという強い信念をもち、養護老人ホームや保育園を設営した。この精神はその後、美術館、音楽財団、文化財団など、幅広い文化・社会活動へと受け継がれてきた。中でもサントリーホールは、音楽文化の創造の拠点として多くの人々に親しまれている。
信治郎が味覚でなく天性の鼻を持っていたというのが、ウィスキーの製造に向いていたと言える。それに加え、売る技術に知恵を絞っていることも効果的であったのだろう。何と言っても基本は「開拓魂」であることに異論はない。
改善も、「なんでもやってみなはれ」が基本であり、これを継続的に繰り返すことでかなりの効果をあげることができる。それに加えて作業をする人への心配りがあれば言うことはない。


鳥井信治郎のことば
  「なんでもやってみなはれ、やらなわからしまへんで」
  「会社が大きくなっても、主人は前垂れ掛けの気分でいなければならない、
    社員も商売の基本である商いの心を忘れてはならない」
  「陰徳あれば陽報あり。言に怯にして行うに勇あり」


鳥井信治郎に関した本
  なっちゃんの秘密―商品デザインは人間を見つめることから始まる。 (商品づくりの書)
  やってみなはれ 芳醇な樽 (集英社文庫)
  まかせて伸ばす―サントリーの「連星」経営
  サントリー流モノづくり―ヒット商品創造法 (B&Tブックス)
  運を拓くマーケティング―サントリー流才能の活かし方 (新潮OH!文庫)
運を拓くマーケティング―サントリー流才能の活かし方 (新潮OH!文庫)サントリー流モノづくり―ヒット商品創造法 (B&Tブックス)やってみなはれ 芳醇な樽 (集英社文庫)なっちゃんの秘密―商品デザインは人間を見つめることから始まる。 (商品づくりの書)





 美人ヌードポスター 1922(大正11)年