自然を愛する心   

尾崎喜八

きょうは詩人で随筆家 尾崎喜八の誕生日だ。
1892年生誕〜1974年逝去(82歳)。
東京都京橋に生まれた。京華商業在学中から、得意とした英語で外国の詩集に親しんだ。卒業して会社に就職した。1911(明治44)年19歳の時、高村光太郎の知遇を得て芸術への目を開かれ、その影響でヴェルハーレン、ホイットマンロマン・ロランを知るようになった。同じ時期に武者小路実篤千家元麿など白樺派の人々と交友を深め、そのさわやかで滋味豊かな芸術に影響を受け、ヒューマニスティックな詩を作るようになった。
会社勤めのかたわら、畑を耕し、詩文を書くという田園生活を愛した。また、登山や旅によって、自然と文学の融合を試みている。英語のほかに独学でフランス語、ドイツ語を学び、ロマン・ロラン、ヘッセなどから多くのものを吸収し、茅野蕭々(ちの しょうしょう)訳の「リルケ詩抄」からも影響を受けた。そして翻訳や詩、小説を「白樺」に発表するようになり、1922(大正11)年30歳のとき、第一詩集「空と樹木」を出版し、平明で日常口語の表現のうちに理想主義、人道主義をうたった。その後 尾崎はそれまでにない新しい感覚で様々な心を詩や散文にしてきた。
1924(大正13)年32歳で結婚し、高井戸に住むことになった。その後京橋区新川に越し、1932(昭和7)年から荻窪に住んだ。そして、1936(昭和11)年から1944(昭和19)年まで善福寺池の近くに住むことになり、その間昭和18年から19年にかけて書かれたのが「井荻日記」である。
尾崎喜八の名前を有名にした「山の絵本」ではまるで地理学書を読むような精緻な情景の描写に驚かされる。しかしそこには自然への深い愛と尊敬が溢れている。
尾崎喜八は言う。今の大人は、「まあきれいな花」と言って、もぎ取って持ち帰り枯らしてしまう。「すばらしい景色」と言って、足元の草花を踏みつけてしまう。子どもに自然を愛する心を育てない限り、自然破壊は止まない。自分への反省とともに、どのような子どもを育てるのか真剣に考えなければ・・・と。
感動することは人にとって大切なことだが、あまり目立たない物とか見えにくい物は見過ごしがちである。客観的、全体的に見て本当に正しいことかどうかはよく考えなくてはいけない。
企業においても同じことが言える。短絡的な考え方や大きな声の人はインパクトが有るが、大切な要因を忘れていることも多い。


尾崎喜八の本
  音楽への愛と感謝 (平凡社ライブラリー)
  山の絵本 (岩波文庫)
  わが庭の寓話 (ちくま文庫)
  慰めの音楽
  夏の最後の薔薇―詩人尾崎喜八の妻実子の生涯
  山のABC
夏の最後の薔薇―詩人尾崎喜八の妻実子の生涯慰めの音楽わが庭の寓話 (ちくま文庫)音楽への愛と感謝 (平凡社ライブラリー)