何よりも大切なのは   

キュリー夫妻

きょうはポーランド生まれでフランスの物理学者、化学者の キュリー夫人の誕生日だ。1867年生誕〜1934年逝去(被爆による白血病 67歳)。

政治運動に参加して故国を追われ、フランスに亡命。ウラン鉱石の精製からラジウムポロニウムを発見し、原子物理学の基礎を作るとともに、文字通り今世紀の原子力・核の時代を開いた。これにより夫ピエール・キュリーとともに第一回ノーベル物理学賞受賞。後、ノーベル化学賞をも受賞した。
ノーベル賞を初めて二度受賞した人だが、できたばかりで今のようにメジャーでなかったノーベル賞を罪ほろぼしの賞と考えていたのか、半ば軽蔑し嫌って授賞式には出席しなかったようだ。皮肉なことに彼女の発見も、レントゲン撮影などで多くの人を救う反面、原子爆弾製造の元になっている。ただし彼女は特許などでの利益は全く受けようとしなかったことが違うところだ。
教育についても独自の考えを持っていて、実技を中心としたユニークな学習塾をつくったようだ。計算や読み書きの訓練は必要だが何よりも大切なのは健康であると考えていて、積極的に行動する心、人を思いやる心は、自然に触れることや芸術によって育まれると信じていた。
英、仏、独、ロシア、ポーランドの五カ国語に通じていたようだ。
彼女は美人でひたむきで性格もいいので、十代のとき家庭教師のアルバイト先でプロポーズされているがその男の親に猛反対され、パリに留学し研究に没頭する。また夫が馬車にひかれて亡くなった後のことだが、他の教授と不倫騒ぎを起こしている。
ところで、彼女のことをどうして「キュリー夫人」というのか。夫ピエールを陰ながら支える夫人ならわかるが、研究者としての彼女の功績も大きいのだから「マリー・キュリー」が正しい呼び方だと思うのだがいかがなものか。
彼女から学ぶものは多いが、何と言っても「何ごとも最期まであきらめずにやりぬく」ということだろう。   


キュリー夫人の最期のことば 「もう結構です。そっとしておいてください」
キュリー夫人の本  キュリー夫人 (ポプラ社文庫―伝記文庫)キュリー夫人 (ポプラ社文庫―伝記文庫)
             マリ・キュリー (この人を見よ)
キュリー夫人の映画  キュリー夫妻 ― その愛と情熱 [DVD]キュリー夫妻 ― その愛と情熱 [DVD]