学究の徒のあるべき態度や精神

木村栄

きょう緯度変化のZ項を発見した天文学者 木村栄(きむら ひさし)の誕生日だ。
1870(明治3)年生誕〜1943(昭和18)年逝去(73歳)。

石川県石川郡泉野村(現 金沢市泉野町)に篠木(ささき)庄太郎の二男として生まれる。1871(明治4)年、木村民衛の養子となり、この養父に漢字、習字、そろばんを習った。1877(明治10)年、越田塾で算数、大島塾で漢文を学び、1878(明治11)年8歳の時には木村塾で先生として教えた。

1880(明治13)年、石川県金沢専門学校に入学、1887(明治20)年、第四高等中学校に入学、1889(明治22)年、第四高等中学校を卒業、東京帝国大学に入学。1892(明治25)年22歳で 東京帝大を卒業、星の研究のため大学院に入学、長岡半太郎博士に師事した。

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自由と反逆と人民的精神の

小熊秀雄

きょうは流浪の文学者で「働く詩人」 小熊秀雄おぐま ひでお)の誕生日だ。
1901(明治34)年生誕〜1940(昭和15)年逝去(39歳)。

北海道小樽市に父 三木清次郎・母 小熊マツの子として生まれる。マツが未入籍のため、出生届は出されなかった。1904(明治37)年10月、母 マツが亡くなり戸主となった。12月26日、小熊マツの私生子として入籍された。

父 清次郎は新たにナカを後妻として迎えた。のち、父母とともに北海道稚内へ移住、さらに樺太へ移住した。1912(明治45)年11歳の時、秋田県に住む伯母のもとに1〜2年間引き取られ、養育を受けた。

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コロンブスのタマゴ的発想

池田菊苗

きょうは「味の素」の素を創った 池田菊苗(いけだ きくなえ、幼名:完二郎)の誕生日だ。
1864(元治元)年生誕〜1936(昭和7)年逝去(71歳)。

京都市に池田春苗の次男として生まれる。1889(明治22)年24歳で東京帝国大学理科大学化学科を卒業、大学院に入った。東京高等師範学校教授(1891明治24年〜1896明治29年)を経て、東京帝国大学助教授となった。

ドイツ・ライプチヒの物理化学者 オストワルト(F・Ostwald、1853-1932年)のもとに留学。1901(明治34)年37歳の時に帰朝して、東京帝国大学理科大学教授となった。
1908(明治41)年44歳の時、グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法の特許を得た。これが後年広く用いられるようになった「味の素」の発明である。

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伝統を近代の感覚で表現

吉村順三

きょうは昭和の大建築家 吉村順三(よしむら じゅんぞう)の誕生日だ。
1908(明治41)年生誕〜1997(平成9)年逝去(88歳)。

東京本所緑町の呉服商の家に生まれる。1921(大正10)年13歳の時 府立三中(現 両国高校)在学中、「住宅」誌主催「小住宅設計懸賞」に入選した。1926(昭和元)年 府立三中卒業。東京美術学校(後の東京芸術大学)建築科に入学、毎週末 京都の寺社を訪ね、実測をした。

1927(昭和2)年19歳の時 単身で京城、天津、北京等を旅行した。1931(昭和6)年23歳で東京美術学校建築科卒業。卒業設計は、「最小限住宅」だった。

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現代の民話として

星新一

きょうはショートショートの神様 星新一(ほし しんいち、本名:星親一)の誕生日だ。1926(大正15)年生誕〜1999(平成11)年逝去(73歳)。

東京の本郷(文京区)で星製薬 創業者 星一の長男として生まれる。母方の祖父は日本人類学者の祖で東京帝国大学名誉教授 小金井良精、祖母は森鴎外実妹歌人 小金井喜美子で、この夫妻と一緒に暮らし、多大な影響を受けた。

1939(昭和14)年12歳で東京女子高等師範の付属小学校を卒業。この頃江戸川乱歩海野十三などを読んだ。その後、東京高校に進み、1945(昭和20)年 東京帝国大学農学部農芸化学科へ入学。1948(昭和23)年に卒業して大学院へ入った。

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希望の大世界を進み抜く

棟方志功

きょうは大正・昭和の「板画家」 棟方志功(むなかた しこう)の誕生日だ。
1903(明治36)年生誕〜1975(昭和50)年逝去(72歳)。

青森市で代々鍛冶職を営んできた父 棟方幸吉・母 さだの三男(9男6女)として生まれる。幼い頃から弱視だったが、周囲から「絵馬鹿」と呼ばれるほど絵を描くのがとても好きな子供だった。1910(明治43)年4月に長嶋尋常小学校に入学、3年生の頃から凧絵に興味を持ち、級友に描いていた。

6年生の頃、田んぼに不時着した飛行機を見にみんなと走っていたところ、小川の所で転び、そばに白い花(「おもだか」という水草)を見つけて、その美しさにひどく感激した。

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事業の将来に確かな自信

光永星郎

きょうは明治時代に電通を創業した 光永星郎(みつなが ほしお、幼名:喜一)の誕生日だ。
1866(慶応2)年生誕〜1945(昭和20)年逝去(78歳)。

熊本県八代郡野津村(現 八代市竜北町)宇西野津佐渡丸に戸主 雄喜・母 ワキの長男として生まれた。学令に達すると同時に、宮原町の寺子屋に通い始め、野津小学校(後の東光寺小学校)、ついで漢字塾「菁莪堂(せいがどう)」から熊本に出て、共立学舎、陸軍士官学校の予備門育雄校、さらに東京に出て、予備門有斐校に学んだ。

1889(明治22)年23歳の時、新聞記者となり、日清戦争では特派員として従軍した。この経験から正確で迅速なニュース報道の必要性を感じ、新聞社にニュースを供給する通信社の設立を思い立った。

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