ひたむきに研究一筋に生きた

辻村みちよ

きょうは緑茶のカテキンを発見した日本初の女性農学博士 辻村みちよの誕生日だ。1888(明治21)年生誕〜1969(昭和44)年逝去(80歳)。

足立郡桶川宿(現 埼玉県桶川市)に父 甚太郎・母 津禰(つね)の二女として生まれた。父は坂田尋常小学校校長を務めており、母は、当時としては珍しくトマトを栽培したり英語を勉強するなど、積極的に新しいことに取り組む人だった。
五歳上に兄 鑑(かん)、四歳上に姉 きよみ、二歳下に二男 贛(きたう)、五歳下に二女 みさほ、11歳下に三男 鑛(こう)、14歳下に三女 みどりという七人きょうだいだった。

当時の学校制度は、小学校尋常科が4年で義務、その上に高等科が4年で「受業料」というものを取っていた。このため、多くの家庭が学校に行かせない状態であった。特に女子の就学には無理解で、行かせても3年やれば良い方だった。
みちよの父 甚太郎は『これからの時代は女子も職業につく時代がくる。従って皆高等科へ進ませる』『両親は年を取っていて最後まで面倒を見られない。よって長男・長女には十分の教育を授けておく。上の者は下の者の面倒を見るように、下の者は上の者を父母と思い励むよう』
これが辻村家の家訓で、家庭でも勉強は厳格にさせた。

父は校長とは言え、当時安月給の代表であったが、この方針で辻村家の子女は高等科へ進むことが出来た。町でも最裕福な家の子弟しか高等科へ行かない時代、父のこの方針に明治人の『気骨』を見るが、生活は『赤貧洗うが如し(極めて貧しく、洗い流したように何もないさま)』であった。

こんな中で、兄鑑は神童と称される成績で浦和中から一高・東大英文科へと驀進(ばくしん)していった。姉 きよみは裁縫学校へ通ったあと、検定で小学校教員の免許状をとり准訓導となった。

みちよは、1902(明治35)年14歳の時、桶川尋常高等小学校を卒業後、埼玉県立女子師範学校を受けたが、背が低いという理由で不合格だった。
みちよは家で独学し、翌年埼玉県教員検定試験を受けて准訓導の資格を得、1904(明治37)年16歳で加納尋常高等小学校に勤務した。

1年後、東京なら背の高さで不合格にはならないだろうし師範は授業料免除ということもあり、1905(明治38)年 東京府立女子師範を受験し合格した。1909(明治42)年、卒業後、東京女子高等師範学校理科に入学した。

女高師でみちよは保井コノと運命的な出会いをした。更に入学の年、黒田チカも赴任してきた。保井は既に新進気鋭の研究者として活躍しており、黒田もまた更なる勉学への情熱を燃やしていた。後年みちよが研究者への道へ転ずるのも、この二人の向学心、研究姿勢による影響大と思われる。

1913(大正2)年 同校を卒業し、授業料免除の代わりの奉職義務のため横浜高等女学校、埼玉県女子師範学校教諭となったが、1920(明治9)年32歳の時、突然 化学の研究者となることを決意した。

そして、北海道帝国大学農芸化学科入学を希望したが、女子入学の前例がないため許可されず、無給副手として食品研究室に入った。人の羨む師範教諭の肩書きを捨て、高給も捨て、先の当てもない不安の道へと進んだ。
後年『あの時だけは清水の舞台から飛ぶ思いだった』と語った。

その後東京帝国大学医学部医化学教室で生化学の研究を柿内三郎教授のもとですることになった。ところが1923(大正12)年9月1日の関東大震災で、医化学教室は灰燼に帰してしまった。やむなく、みちよは理化学研究所(理研)へ10月から研究生として入ることになった。

ここで有名な鈴木梅太郎博士の研究室に配属されたことが、後の幸運につながった。その頃東京茶業組合から緑茶に関する研究依頼が理研にあり、鈴木博士は三浦政太郎らと共にみちよにその分析を命じた。

1924(大正13)年36歳の時から緑茶に関する研究に取り組み、「緑茶のビタミンC含有」や「緑茶中のカテキンの発見」さらには「渋みの主成分タンニンの分子構造を明らかにする」など、画期的な業績を上げた。当時茶は重要な輸出品で、この発見により輸出量が増加し、茶業関係者からたいへん感謝された。

余談だが、若き日の三浦政太郎はソプラノ歌手 環に惚れて結婚を申し込んだところ、『博士になれたら結婚してあげる』といわれ、懸命に研究し緑茶の研究で目出度く博士になることができ、晴れて環と結婚できたという。

みちよは、1932(昭和7)年44歳の時、学位論文「緑茶の化学成分について」で東京帝大から農学博士の学位を受け、我が国第1号の「女性農学博士」となった。
この前年、父 甚太郎は78歳で逝去し、みちよの晴れ姿を見せてはやれなかったが、母と二人だけで喜びを分かち合った。

1934(昭和9)年46歳の時、緑茶から新しいカテキンの「ガロカテキンを発見」、1937(昭和12)年には「パラ・クーマリック・アシドを発見」、1938(昭和13)年には「α,βヘキセナールを分離することに成功」と画期的な業績をあげ続けた。

しかし、理研に於けるみちよの立場は、1937(昭和12)年に研究生となり不安定な嘱託の身分から、漸く安定した立場を得たに過ぎなかった。理研という、実験には何不自由の無いなかで研究出来るだけで、幸福だった。
しかし、戦争の暗雲が迫りつつあった。

1941(昭和16)年1月13日、母 津祢が83歳で没した。みちよを支えた最大の功労者を失った。以後は研究を続けるために止むを得ず親戚の家を転々とする苦労が始まった。12月8日、米英との大東亜戦争が始まり、研究発表の場も、研究自体も無くなっていった。

1942(昭和17)年54歳の時、末子 みどりの一家を突然悲劇が襲った。夫の山田勇助大佐が、ガダルカナルで敵襲を受け戦死。12月、みどりが産後の肥立ちが悪く、五人の子を残して死去、幼い子供達は孤児院に預けられたりしてバラバラになった。みちよは悲報を聞いても、遠い山形ではどうしてやることも出来なかった。

1943(昭和18)年9月20日、鈴木梅太郎博士が腸閉塞のため69歳で亡くなった。みちよにお茶の研究を与えてくれた恩師の一人であった。
1945(昭和20)年8月15日、長い戦争が終わった。みちよは理研研究員のまま、教員として歩みはじめた。

1946(昭和21)年58歳の時、女子学習院講師を委嘱され、孝宮(昭和天皇の第二皇女)様を教えた。1949(昭和24)年、学制改革で大学となった御茶ノ水女子大学教授に任ぜられ、翌年 家政学部創設に伴い初代学部長に就任した。

1951(昭和26)年、大学施設運営視察団団長として渡米、大学設置審議会委員も努めた。この多忙な公務の合間をぬって茶の研究を再開した。1952(昭和27)年から翌年にかけ海藻のフラビン(ビタミンB2)の研究を発表した以外は茶の研究が続いた。

この間、末妹 みどりの長女 陽子(はるこ)を引き取り面倒をみた。みちよの考えでは、自分達と同じように陽子が下の者の面倒を見て、山田家を再興するようにとの思いだった。幸い陽子は成績優秀で津田塾大学へ入ったが、卒業と同時に恋愛結婚してしまい、残念だったと後々まで嘆いた。

1955(昭和30)年3月31日を以って御茶ノ水女子大学を定年退官。お茶大時代のみちよは、厳しい先生という評判だったようだ。
引き続き実践女子大学教授に招聘された。実践へ移ってからのみちよは、孫のような学生に囲まれ「お茶博士」と慕われ、漸く安息な日々を迎えた。

この年、茶の新しいタンニンを発見し、「ティタンニンⅡ」として論文発表した。67歳の高齢を考えると驚異的な息の長さであった。11月、次妹 みさほが62歳で没した。母の没後最も長く身を寄せて世話になった人であった。

1956(昭和31)年68歳の時、被服科設置に伴い科長に就任、4月には日本農学賞を受賞した。社会的栄誉に恵まれなかったみちよの数少ない栄光であった。
晩年は、華道・謡曲を趣味とした静かな余生を送った。

1963(昭和38)年3月、74歳でみちよは実践女子大を定年退職し、引き続き非常勤講師として勤務した。健康には人一倍気を使ったみちよだったが、この頃から高血圧に時々襲われるようになった。

弟 贛は定年退職し、浦和に帰っていた。みちよは弟 贛宅に引き取られた形で贛夫妻が面倒をみていた。4月29日勳四等宝冠章を受け、5月10日には宮中で受賞記念会に出席した。11月3日、天皇主催の園遊会に招かれ上京した。ひたむきに研究一筋に生きたみちよの、最後の輝きであった。

1969(昭和44)年6月1日、日中は普段と変わりなく散歩をし、趣味の謡曲を謡って過ごした。夕食に大好物の刺身を摂って寝たが、夜半突然発作に襲われ忽然として80歳の生涯を閉じた。

辻村みちよは、明治・大正・昭和にかけて研究一筋に生きた人で、師やテーマにも恵まれたが、人付き合いという面では気遣いが不足していたかもしれない。それほど研究に打ち込み大きな成果を出しているが、当時においては、女性という立場と研究に没頭という姿勢が受け入れられなかったのだろうか。

企業においても、研究や設計などの技術部門にいると対人関係への配慮が不足しがちになることがある。しかし研究や設計なども人のためにやっていることであり、人への思いやりとか配慮が足りないと、いいモノが出来ないし顧客満足度の高いサービスが提供できない。


辻村みちよのことば
  「焦らず、ゆっくり、たゆみなく」


辻村みちよに関する本
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