義理・人情に厚く、涙もろい

榎本武揚

きょうは江戸末期の幕臣、明治時代の政治家 榎本武揚(えのもと たけあき、通称:釜次郎、号:梁川)の誕生日だ。
1836(天保7)年生誕〜1908(明治41)年逝去(72歳)。

江戸下谷御徒町(現 東京都)に旗本の次男として生まれる。父は幕臣 榎本圓兵衛武規で旧姓 箱田良助と言い備後(現 広島県)の国箱田村の出身、妻は林洞海の娘で林研海の妹でもある。幼いときから好奇心旺盛で学問好きだった。昌平坂学問所儒学・漢学、ジョン万次郎の私塾で英語を学んだ。

昌平坂学問所の卒業試験に落ちた19歳の釜次郎は、当時の箱館奉行織部正の小姓として、蝦夷箱館(現 函館)に渡った。当時の箱館は、ペリーの黒船来航に始まる日米通商条約で外国に開港されている港だった。釜次郎はここで堀織部正とともにまだ未開だった蝦夷樺太を探検し、地理や星、気候などを学んだ。
1856(安政3)年20歳の時に幕府が新設した長崎海軍伝習所に入所、国際情勢や蘭学と呼ばれた西洋の学問や航海術・舎密学(化学)などを学んだ。
1858(安政5)年、江戸築地の海軍操練所教授に就任した。

1862(文久2)年26歳の時から1867(慶応3)年までのオランダ留学で国際法や軍事知識、造船や船舶に関する知識を学び、幕府注文の開陽丸とともに帰国。
1868(慶応4)年31歳の時に江戸幕府の海軍副総裁に任ぜられた。

将軍 徳川慶喜大政奉還を行い江戸幕府は消滅し、戊辰戦争にあたり新政府軍が江戸を占領すると、抗戦派の幕臣とともに開陽丸など幕府艦隊を率いて脱出した。新選組や奥羽列藩同盟軍、松平定敬らを収容し、蝦夷地に逃走、箱館五稜郭に拠り、「蝦夷共和国」を設立、選挙の実施により総裁となった。

国際法の知識に基づき、函館の各国領事に対して自軍を新政府と対等の「交戦団体」と認めさせた。しかし、開陽丸の座礁・沈没、更に各国が局外中立を解除して新政府を唯一の政権と承認したため、1869(明治2)年33歳の時に「函館戦争」に敗北し新政府軍に降伏するが、黒田清隆の厚意により助命され投獄された。

この獄中で榎本が姉に宛てた手紙。
 麦酒御恵投下され只今晩飯にたっぷり相用ひ誠にうきうきしたし申し候、
 少々ドロンケンのため、乱筆をお許し下さい。
夕食のときにビールをたっぷり飲み、気分はウキウキだと書いている。

榎本がウキウキだったのには、ビールで酔った以外に、前日の新聞に榎本釈放の記事が記載されていたためで、ビールは出獄前祝いの一興だった。
また自らの酔っぱらいぶりを、幕末に蘭学者たちが「酔っている」の意で用いた「ドロンケン(オランダ語のdronken)」という言葉で表現している。

1872(明治5)年36歳の時に罪を許され、その才能を買われて新政府に登用された。はじめ黒田が次官を務める開拓使に出仕した後、1874(明治7)年に海軍中将に任ぜられて駐露公使となり、樺太・千島交換条約の締結に尽力した。

帰国後は外務大輔、海軍卿、駐清公使を歴任し、内閣制度の成立後は6度の入閣で逓信大臣、外務大臣、文部大臣、農商務大臣を務めた。旧幕臣のなかでは例のない高い地位を明治政府で占めたが、藩閥が強い力を持つなかで、大きな業績をあげることができなかった。また、榎本の異例の出世に対して福沢諭吉は「旧幕臣としてあるまじきこと」と批判した。

1890(明治23)年54歳の時に子爵となった。翌1891(明治24)年に徳川育英会育英黌農業科(現 東京農業大学)を創設した。1888(明治21)年52歳の時から1908(明治41)年まで電気学会初代会長を務めた。

蝦夷共和国建国の際には、国際法の知識を駆使して自分たちのことをれっきとした「国際法上の交戦団体」(:日本国内で新政府に匹敵する団体)であると列強たちに認めさせるという、当時の日本としては画期的な手法を採るなど、外交知識と手腕を発揮した。

明治政府官僚となってからも、その知識と探求心を遺憾なく発揮し、民衆から「明治最良の官僚」と謳われたほどであったが、藩閥政治の横行する明治政府内においては肩身の狭い思いもしばしばであった。義理・人情に厚く、涙もろいという典型的な江戸っ子で明治天皇のお気に入りだった。

また外国語にも通じ、海外通でありながら極端な洋化政策には批判的で、園遊会ではあえて和装で参内するなど粋な行動に終始した。著作に『渡蘭日記』『北海道巡回日記』『西比利亜日記』『流星刀記事』など。

榎本武揚は、好奇心旺盛で学問好き、そして行動力がある。この性格で、幕末から明治初期という波乱の時期に生きているわけだから、条件がすべてそろったという感じだ。これで何も無ければ、それこそ世の中と周りを取り巻く連中が悪いということになる。

企業においても、その人にマッチしたタイミングというのはあるが、そればかりを当てにするわけにはいかない。
どんな状況においても、対応できるように日頃から勉強しておかなければならないが、基本的な要件というのはそれほど変化するものではない。


榎本武揚の本
  榎本武揚 (中公文庫)
  榎本武揚から世界史が見える (PHP新書)
  時代を疾走した国際人 榎本武揚―ラテンアメリカ移住の道を拓く
  榎本武揚―幕末・明治、二度輝いた男 (PHP文庫)
  榎本武揚未公開書簡集

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