身なりなど全く構わない

中村不折

きょうは洋画家であり書道家 中村不折(なかむら ふせつ、幼名:諴太郎)の誕生日だ。
1866(慶応2)年生誕〜1943(昭和18)年逝去(76歳)。

江戸京橋東湊町(現 東京都中央区)に父 中村源蔵・母 りゅうの長男として生まれた。父 源蔵は東湊町の書役、名主の補佐役として生計を立てていたが、明治維新のごたごたで職を逸し、不折が5歳のとき母の郷里信州高遠(現 長野県高遠町)へ帰ることになった。

ところが高遠に帰っても源蔵の仕事はうまくいかず、伊那や松本に職を求めて移り住む生活が続いた。この間に小学校を終えた不折は、上諏訪町の呉服店に勤めることになった。この頃、14歳頃だったが、商人になるのがどうしても嫌になり、何とかして学問や芸術方面に進みたいと思うようになった。
身体をこわして郷里に戻った不折は、菓子屋で働くが、勉強したい一心で朝早く起き、仕事を早く済ませることで時間を作り、漢学や南画、書を習った。
その甲斐あって、1884(明治17)年18歳のとき、郷里高遠の小学校助教員(代用教員)に採用された。その後、飯田や伊那で教師を勤めるかたわら、自らも数学や書画の勉強に励んだ。

1887(明治20)年21歳のとき、教師時代3年間で蓄えたお金を持って絵を勉強するため上京した。金銭的に余裕がなく、伝手を頼りに高橋是清邸の空き部屋、三畳一間を借り自炊生活を始めた。「十一字会」(のちの不同舎)に入塾し、小山正太郎・浅井忠に師事し本格的に絵を学んだ。

不折は1901(明治34)年35歳の時渡仏するが、それまでの10数年間、風景画を中心に絵画の勉強に打ち込み、生活の糧としては浅井忠の紹介で新聞社の挿絵や教科書の挿絵描きを行い、非常に多忙な生活をおくった。

日本新聞社には、不折の生涯の友となる正岡子規が副編集長でいた。また不同舎では、後輩に荻原守衛(碌山)がおり、時を同じくして渡仏するなど、互いに影響を受けあった。

碌山の縁で、和菓子の新宿 中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻とも知り合った。中村屋が使用しているロゴは不折の書で、明治の終わり頃に揮毫されたもの。
また此の頃より「不折」の雅号を常用し始め、1928(昭和3)年62歳の時に「不折」に正式に改名した。

不折は、フランスでの4年間で写実を本領とする歴史画家ローランスに師事し、アカデミックな油彩表現法を学び写実主義を確立、1905(明治38)年帰朝し、その直後から「太平洋画会」に所属し、たくさんの作品を世に送り出した。太平洋美術学校長、美術協会審査員を歴任、また文展の審査員を務めるなど活躍の場を広げた。

当時の日本の洋画界は、白馬会の中心人物 黒田清輝の明るい印象派風の外光派絵画が支配的であったが、不折はその流れに対抗して、鹿子木孟郎らが創設した「太平洋画会」に所属した。この会の作風は、不折の『裸女立像』に見られる褐色調の暗い画面を特徴としていたことから、「脂(やに)派」と名づけられている。

厳格なアカデミズムの作風は、しばしば形骸化した教科書版の様式に陥りがちである。しかし、正確なデッサン力、堅牢な形態描写、身体を浮き立たせる陰影法、これら堅実な写実的性格は、今日の目で見ても、意外なほどの新鮮さを感じさせる。

不折は書家としても有名で、六朝書に傾倒、たくさんの書を残している。フランス留学中も傍らで書の研究をしていたくらいで、帰国後その評価も高いものとなり、たくさんの揮毫を頼まれた。
森鴎外が、自分の墓の文字は不折の書を刻むことと遺言したのは有名。

1912(明治45)年46歳の時、書道研究の「龍眼会」結成した。また不折は酒やタバコ、身なりなど全く構わないことでも有名で、稼いだお金を書道に関する資料収集に費やし、その後1936(昭和11)年台東区の自宅跡に設立の「書道博物館」につながった。

洋画家として出発した不折が書道研究に傾倒した最大の契機は、1894(明治27)年の日清戦争のとき、従軍記者として中国へ赴いたことにあった。この機会に彼は約半年をかけて中国、朝鮮を巡遊し、碑拓などをはじめ、漢学成立の解明に寄与しうる考古資料を目にし、それらを日本に持ち帰ることを得た。

1943(昭和18)年6月5日、いと夫人と散歩に出た不折は脳溢血で倒れ、帰らぬ人となった。享年76歳だった。明治、大正、昭和にわたり洋画界と書道界において大きな足跡を残した。

中村不折は、洋画家であり書道家というちょっと珍しい人だが、どちらも当時としては先進的である。また、教育に尽くしたことや博物館設立というのもすばらしい。

企業においても、何をやっても優れた人はいるものだが、とかく器用貧乏になり大成できていない。やはり優れている度合いが浅すぎるにもかかわらず、自身がうぬぼれてしまっている人はそれで成長が止まってしまう。
優れている中でもさらに奥を究めるものが無くてはいけない。


中村不折の作品
    
  「裸女立像」     「花蒔仙人」       「龍眠帖」 


中村不折の本
  中村不折秀作集
中村不折秀作集