時期尚早の観があった

桜井錠二

きょうは日本近代化学の父 桜井錠二(さくらい じょうじ)の誕生日だ。1858(安政5)年生誕〜1939(昭和14)年逝去(80歳)。

加賀藩金沢馬場一番町乗(現 石川県金沢市東山)に馬役 桜井甚太郎の六男として生まれる。藩の英学校「致遠館」で英語を勉学した。1871(明治4)年 大学南校(現 東京大学理学部)に入り、1877(明治10)年 在学中にイギリスへ留学した。

ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで有機化学者 A・W・ウィリアムスン(1824-1904年、アルコールとエーテルについて研究)に学び、1881(明治14)年に帰国した。
その翌年24歳で東京大学化学教授となり、さらに1886(明治19)年の学制改正に伴い誕生した帝国大学理科大学化学科教授となり、有機化学を担当した。
ウィリアムスンの指導下で有機水銀化合物を新たに合成し、帰国後もこの研究を続けメチレン水銀ヨウ化物の塩化物合成に成功した。これは、有機水銀化合物研究のさきがけとなった。
また、原子実在説に早くから取り組み、原子論の観点から化学を究めようとする動きに同調。1885(明治18)年 東京化学会でその立場を明確にした。

1893(明治26)年35歳の時、分子量測定のための沸点測定法を改良した。これはさらに門弟 池田菊苗によって改良され、「桜井-池田沸点測定法」と呼ばれるものになった(現在ではこれをさらに改良したものが用いられている)。

1894(明治27)年、最も簡単なアミノ酸であるグリココル(グリシン)の水溶液の電気伝導度が極めて小さいことを実験で示し、グリココルが環状構造をとることを明らかにした。また1896(明治29)年にも同様な測定実験をアミドスルフォン酸に対しておこなった。

桜井は化学用語の統一にも尽力した。1899(明治32)年には池田菊苗とともに万国原子量委員を引き受けた。1903(明治36)年には、20代中頃に数回会長を務めたことのある東京化学会(1878明治11年設立)の会長に再選され、以後同会の発展に尽力した。

理論化学の重要性を指摘し、その開拓につくした。そして、若い研究熱心な人たちに活動の場を整えるために、財団法人「理化学研究所」開設に尽力し、1917(大正6)年59歳のとき同研究所副所長となった。

1918(大正7)年に60歳で東京帝国大学を退職後は、帝国学士院長(1926大正15年以後)を務め、学術研究会議(1920大正9年)、日本学術振興会(1932昭和7年)の設立に力を尽くすなど、科学行政の面で大きな功績を残した。

死にいたるまでこれらの職にあって、国際的にも活動し、国際交流にも大きく貢献した。そのほかに標準式ローマ字制定を主唱、英語教授研究所理事長を9年間勤め、東京女学館の創立に参画、後その院長となったりもしている。
貴族院議員、枢密院顧問も務めた。遺稿に「思い出の数々」がある。

1899(明治32)年という早い時期に、大学教育の中に物理化学を導入したり、有機化合物の構造を講じ、カリキュラムに微積分や物理学などを導入した。多くの弟子を育てたことでも知られる。しかし、「理学」を重視する桜井の姿勢は当時の「実学」中心の日本化学界にあっては時期尚早の観があった

桜井錠二は、実学よりも基礎理論に重きを置いた学者であったようだ。本当の学問というのは、基礎が重要でありこれをおろそかにすると正しい結果が導けない。一方いくら基礎理論ができていても実生活に役立たなければ意味が無い。結論としては、両方とも重要だということだ。

企業においても、机上理論だけでは利益につながらないし、いくら現場主義とか言ってもそれを裏付ける理論が確かでないと大きな成果は望めない。両方がしっかりと結びついてはじめて利益につながることになる。

●桜井-池田沸点測定法●
溶媒の沸点上昇と、溶かしこむ溶質(不揮発性で溶媒と化学反応しないもの)の分子量との間にはある関係が存在する。この関係を応用して分子量を測定する方法を「モル沸点上昇法」という。
しかし、過熱による突沸で沸騰現象を一様に実現することができず、つまり沸騰溶液の温度を一定に保つことが困難であって、しかも器具の破損を招くなど、沸騰点の精密測定が難しかった。
ベックマンはこれを改良したが、過熱による困難は依然として存在し、しかもこの装置は還流器などの特別な器具を必要とするため場所を取りすぎるという欠点があった。

1892(明治25)年に桜井は、ベックマン温度計を用いて小型の測定装置を考案した。これには溶液の濃度を沸点を測定した直後に計測するという、操作上の利点もあり、桜井は「溶液の成分と其の沸騰点の関係は直接に之を知る」と述べた。
その後、池田菊苗が改良を試み、二重封じのフラスコを使った「桜井-池田沸点測定法」へと発展した。

桜井錠二に関する本科学風土記―加賀・能登のサイエンス (ポピュラー・サイエンス)東国科学散歩
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