好奇心の強さと若さに

植草甚一

きょうは散歩と喫茶店と本と映画とジャズが好きだったエッセイスト 植草甚一(うえくさ じんいち)の誕生日だ。
1908(明治41)年生誕〜1979(昭和54)年逝去(71歳)。

東京・日本橋の小網町の木綿問屋の一人息子として生まれる。学費未納のため1933(昭和8)年、早稲田大学理工学部建築学科を中退した。その後、銀映座主任助手になった。

1935(昭和10)27歳のとき東宝に入社、13年間のサラリーマン時代を経て、1949(昭和24)年41歳の時から「キネマ旬報」「映画之友」「スクリーン」など映画雑誌、1952(昭和27)年から「ハヤカワポケットミステリー」編集や翻訳で執筆を行った。
戦後、独立して映画評論を手がける傍ら、1956(昭和31)年からジャズを聴き始めた。そしてジャズや雑学への造詣を深め、1970(昭和45)年62歳の時にエッセイ『ぼくは散歩と雑学が好き』を刊行し、若者にサブカルチャーを普及させた。

1973(昭和48)年65歳で雑誌「ワンダーランド」を創刊し、その後JICC出版局に譲渡・発展して「宝島」になり、責任編集を務めた。1974(昭和49)年に初めてニューヨークへ行き、古本、映画、jazz、ミステリー、ファッション、ポップアート、散歩など…様々な文化を独特の視点でエッセイとして発表しさらに注目された。

その気取らないスタイルが出来たのは40代に入ってからだった。銀座、新宿、渋谷、青山、神保町、ニューヨークなど、これが散歩好きで買い物好きのJJコース。好きな食べ物は、ベーコン、やつがしら、カルゾーネで、嫌いなのが光り物、生臭いもの、ピーマン。好きなタバコはキャメルとラーク。

蔵書は5万冊に及び、その量は古書店3件分。また大量のjazzレコードコレクションは、氏の形見分けとして現在タモリが所有している。1979(昭和54)年、世田谷区経堂の自宅で心筋梗塞の発作により永眠。

植草甚一は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。気の向くままに、独特の語り口でエッセイに綴ったり、風変わりなコラージュをつくったり。生涯にわたり散歩と雑学を愛したおじさん。だけど、その文章に触れた人はみな唸ってしまう。”植草甚一”の、その好奇心の強さと若さに

企業においても、いわゆる「遅咲き」の人はいるもので、そのような人はちょっと変わっているけど知識が多く謙虚で、「大器晩成」になる人も多い。"これだ"と思ったことを、辛抱強くやり続ければ必ずその夢は成し遂げられるはずだ。


植草甚一のことば
  「戦後だけで本を1200万円ぐらい買ったわけさ。
   だから、いまだに借家住まいだ」
  「この前の原稿料、まちがっていないかい。
   あまり多いんで、計算まちがいじゃないかと心配になって…」


植草甚一の本
  J・J氏のディスコグラフィー (植草甚一スクラップ・ブック)
  モダン・ジャズのたのしみ (植草甚一スクラップ・ブック)
  コーヒー一杯のジャズ (植草甚一スクラップ・ブック)
  植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))
  ワンダー植草・甚一ランド

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))コーヒー一杯のジャズ (植草甚一スクラップ・ブック)モダン・ジャズのたのしみ (植草甚一スクラップ・ブック)J・J氏のディスコグラフィー (植草甚一スクラップ・ブック)