この国の行く末を案じて

司馬遼太郎

きょうは日本の大衆歴史文学の巨匠 司馬遼太郎(しば りょうたろう、本名:福田定一)の誕生日だ。
1923(大正12)年生誕〜1996(平成8)年逝去(72歳)。

大阪難波で薬局を営む家に生まれた。乳児脚気のため、3歳まで奈良県北葛城郡で養育され、その後、大阪に戻り1942(昭和17)年19歳の時、大阪外語大学蒙古学部に入学した。

しかし、その翌年、学生の徴兵猶予が停止され、大阪外語大学を仮卒業で学徒出陣し、兵庫県加古川の戦車第19連隊に入営し、見習士官として中国牧丹江の戦車第一連隊に赴任。
その後1945(昭和20)年22歳の時、内地に帰還し、終戦を迎えた。
翌1946(昭和21)年、新日本新聞社に入社したが、1948(昭和23)年に会社が倒産し、産経新聞社京都支局に入社した。1953(昭和28)年30歳で、文化部勤務となり、文学、美術の担当となった。

勤務のかたわら胡桃沢耕史寺内大吉らと同人誌「近代説話」を創刊、1955(昭和30)年32歳の時「名言随筆・サラリーマン」を本名で発表し、翌年「ペルシャの幻術師」で第8回講談倶楽部賞を受賞し、文壇に登場した。その後「戈壁の匈奴(ゴビのきょうど)」などを発表、「梟(ふくろう)の城」で第42回直木賞を受賞した。

1961(昭和36)年38歳の時、文筆活動に専念するために産経新聞社を出版局次長で退社した。「風神の門」など伝奇性に富む作品を多く書いていたが、その後「龍馬がゆく」「城塞」などで史実をもとに現代的な解釈を加えた本格的歴史小説の新分野を開拓し、日本を代表する大衆小説作家となった。

ほかに,明治維新政府の抗争を軸に江藤新平の悲劇を扱った「歳月」、大村益次郎の生涯を描いた「花神」や、秋山真之正岡子規らの人間群像を通じて明治日本の夜明けを描く「坂の上の雲」などの力作がある。
変革・動乱期の人間像を生々と描いた作品群により、数多くのファンを獲得した。

1972(昭和47)年49歳の時、「世に棲む日日」を中心とした活動で吉川英治文学賞を受賞した。 1976(昭和51)年日本芸術院恩賜賞。1982(昭和57)年「ひとびとの足音」で第33回読売文学賞を受賞。 そして、1993(平成5)年には文化勲章を受章。

1996(平成8)年2月10日、東大阪の自宅で吐血し、国立大阪病院に入院、9時間あまりに及ぶ大手術も甲斐なく、12日腹部大動脈瘤破裂のために死去。みどり夫人はメッセージを発表「司馬遼太郎はいつもいつも、この国の行く末を案じておりました。どうぞ、ぜひ、この気持ちをお酌みください」

司馬遼太郎は、中国古代史家・司馬遷には遼(はるか)に及ばない、とつけたペンネームで、そのたぐいまれな独創性、着眼点は「司馬史観」と呼ばれ、「日本とは」「日本人とは」を多くテーマに採り入れた。

企業においては、「経営理念」にあるべき姿を示しているが、それにより社長の求めようとしているものを知り、その追求に励まなくてはいけない。経営理念は口頭で伝えることもできるが、できれば文書化することで、より明確になる。


司馬遼太郎のことば
  「 物事を月光よりも太陽の下で見たい」
  「(文化勲章をもらって嬉しいけれど)ただね、文章は書生でなければ書けない。
   書生には社会的身分がなく、だれにも属さず、一人前でもない。
   そういう人間でないと書けない。ごほうびはうれしいが、
   明日からは忘れようと思っています」
  「一つの時代がすぎ去るというのは、その時代が構築していた諸条件が消える
   ということであろう。消えてしまえば、過ぎさった時代の理解というのは、
   後の世の者にとっては同時代の外国に対する理解よりもむずかしい」


司馬遼太郎の映画
  燃えよ剣 [DVD]
  関ヶ原 [DVD]
  梟の城(ふくろうのしろ) [DVD]
  NHK大河ドラマ総集編DVDシリーズ 国盗り物語
  NHKスペシャル 街道を行く 1 [DVD]
NHKスペシャル 街道を行く 1 [DVD]梟の城(ふくろうのしろ) [DVD]関ヶ原 [DVD]燃えよ剣 [DVD]


司馬遼太郎の本
  新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)〜(8)
  峠(上) (新潮文庫)、(中、下巻)
  この国のかたち 一 (文春文庫)〜(6)
  司馬遼太郎という人 (文春新書)
  新聞記者・司馬遼太郎
司馬遼太郎という人 (文春新書)この国のかたち 一 (文春文庫)峠(上) (新潮文庫)新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)