学会からは完全に無視

メンデル

きょうはメンデルの法則を発見した遺伝学の祖 グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)の誕生日だ。
1822(文政5)年生誕〜1884(明治17)年逝去(86歳)。

オーストリア共和国のシレジェン(現 チェコモラヴィア、ヒンチツェ)の小さな村に農家の子として生まれた。少年時代、家業の畑仕事や果樹栽培を手伝い、栽培や蜜蜂の飼養などに関心をもった。同時に若い頃から苦学をしながら上級学校にすすみ哲学、神学、数学、物理学、生物学などを身につけた。

1843年21歳のとき、ブリュンの教会で牧師となり、敷地内でエンドウ豆の品種改良を手伝った。これが遺伝研究との出会いだった。
その後、教会の費用でウィーン大学で自然科学を勉強した。そこで進化論の祖、ウンガーから植物学の講義を受けた。
当時の教会はまだ中世的伝統を多く残しており、その地方の学術研究の中心で、牧師の多くは高等学校や、哲学研究所の教員をしていた。
当時の院長ナップは後にモラヴィア農業学会の会長もつとめた農業改革の研究を熱心に続けた人で、教会の庭に実験農園を持っていた。

1854年32歳の時、ブリュンの国立実科学校で自然科学を指導するために、教会から通った。1856年から教会の庭にエンドウを植えて、1万株ものエンドウを扱って結果を統計的に調べ、7年間もかかっていわゆる「メンデルの法則」を発見した。

エンドウマメは品種改良の歴史が長く様々な形質や品種があり、人工受粉が行いやすいことにメンデルは注目した。次に交配実験に先立って、二年間をかけて人工受粉を繰り返し純系を作り出した。これが遺伝法則の発見に不可欠だった。
この実験はシンプルな仮定と推理と統計がピタリと合った見事なものだった。

1865年にブリュンの自然科学博物教会で「メンデルの法則」を発表すると共に、「植物の雑種に関する実験」と題する論文を書いたが、この大発見は当時、「ダーウィンの進化論」の陰に隠れ、世間から認められなかった。
学会からは完全に無視されたメンデルだったが自分の考えは曲げず、実験を進めるとともに、近くの養蜂家に交雑によって優れた品種をつくるようにすすめた。

1868年43歳のとき、修道院長に選ばれたが、1871年から修道院に対する課税問題をめぐるオーストリア政府との抗争で多忙となったため、交雑実験に専念することはなくなった。晩年は政府との対立で、財産を差し押さえられたり、病気等のために恵まれない一生を終えた。

しかし、死後1900年になって、ド・フリースがこの成果を発掘し、「メンデルの法則」は学会で一躍有名になり、現代遺伝学の道を開いた。
メンデルの家系は彼以前に代々多くの庭師を出しているので、彼の植物に対する関心も「遺伝」によるものだったかも知れない。

メンデルの科学者としての研究は、エンドウの実験とヤナギタンポポの実験で、ブリュンの博物学雑誌にのせられた。しかし、この2つの論文は彼の実験の一部にすぎず、多くの植物が実験材料として使われ、さらに植物のほかにミツバチの遺伝にも手をのばし、また天文学の研究や気象学にも興味をもち、特に太陽の黒点の観測を熱心に行い、これに関する論文も出している。

メンデルは、成績優秀であったが偏りがあり、教師の試験には合格できなかった。そのために教会に入ることになるが、当時の教会は宗教的なものだけでなく学術的なこともしていて、これが彼の人生を決めている。

企業においても、今は主な事業部ではなく小さな事業であっても、その成長いかんによっては、将来は主事業になることは考えられるし、そのようにしなくてはいけない。小さな事業部に嘆くばかりでなく、創業精神でやり抜く気持が大切だ。

●メンデルの法則○○○
遺伝の法則の一つ。メンデルがエンドウの交雑を主とした植物雑種に関する実験から明らかにしたもので1865年に発表した。
親の形質は遺伝子によって、規則性を持って子や孫の世代に伝わるというもので、エンドウ豆の「豆の形」「豆の色」「さやの形」「さやの色」「茎の長さ」「種皮の色(花の色)」「花のつき方」の7つの遺伝形質について調べ、3つの遺伝の法則が発見された。

優性の法則・・・対になる形質についての遺伝では、第一代雑種には
        優性形質が現れ、劣性形質は隠れる。
分離の法則・・・第二代雑種では、優性形質を現すものと劣性形質を
        現すものとの割合が3対1になる。
独立の法則・・・二対以上の形質を考えた場合、それらの形質は
        独立して遺伝する。
 
メンデルは、学説がまだ認められていなかったとき、こう語った。
「私の実験は大きな満足を与えてくれた。世界がこのことを認めてくれるのは、それほど先のことではないだろう」
その言葉どおり1900年になって二人の学者が同様の研究を一斉に発表するとともに、メンデルがその先駆者であることも報告された。 



メンデルの本
  雑種植物の研究 (岩波文庫)
  メンデルと遺伝 (原図で見る科学の天才)
  早わかりメンデル遺伝 (中継新書)
  メンデル散策―遺伝子論の数奇な運命 (新日本新書)
  遺伝学の誕生―メンデルを生んだ知的風土 (中公新書 (761))
早わかりメンデル遺伝 (中継新書)雑種植物の研究 (岩波文庫)