日本産西洋人

森有禮

きょうは外交官で教育家、初代の文部大臣 森有禮(もり ありのり)の誕生日だ。
1847(弘化4)年生誕〜1889(明治22)年逝去(41歳)。

薩摩の国(現 鹿児島県)に薩摩藩士 森有恕の四男として生まれる。頭の回転は幼時より鋭く、奇論の中にも一部の理があるという評を受ける性格であった。経世論林子平(はやし しへい)の「海国兵談」を読み、海外事情を知る必要を悟り、洋学、漢学を学び武術を修め、薩摩の藩校に学んだ。

1865(慶応元)年17歳の時 薩摩藩留学生として、国禁を犯し、海軍測量術研究のため渡英したが、“末技”(役に立たない未熟な技術)よりも国の基となる学問を学ぶことの重要性を感じて、法律学を学んだ。
その後、1867(慶応3)年ロンドン万国博覧会でトマス・レーク・ハリスに出会い同行して渡米、キリスト教の信仰にふれた。維新の報に接して、1868(明治元)年6月21歳のとき帰国した。そして、薩摩出身の英才である有禮は官途(かんと:官吏の職務)に就き、新政府の外交官として精力的に欧米の教育制度の研究に取り組んだ。その後、アメリカに駐在し「日本に於ての宗教の自由」などを著わした。

「武士の魂」と言われる両刀を廃すべきと「廃刀論」を主張したため、一時は免官になったりもしたが、外務少輔、清国公使、外務大輔を歴任した。1873(明治6)年26歳の時には、福沢諭吉西周(あまね)・西村茂樹らの啓蒙的知識人を結集して「明六社」を結成し、機関紙「明六雑誌」を発刊して啓蒙運動につとめた。

1879(明治12)年32歳のとき英国公使として渡英した。彼は、条約改正交渉の経験を通じ、列強と対等に渡り合うためには「国民」の創出、すなわち国家が主導で教育を行う「学校制度を整備」することが何よりも必要だと考えた。

当時の学校制度は、欧米の翻訳教科書の使用、高価な授業料、さらには教師の育成の遅れなども相まって、学校によって授業内容にバラツキが生じるなどの多くの問題を抱えていた。さらに、天皇の側近 元田永孚(もとだ ながざね)は、天皇の威徳(おごそかで冒し難い徳)で国民の統合を図る儒教主義教育を推進し、「修身」を学校の中心科目に据えるなど、文教行政に大きな影響を与えていた。

1884(明治17)年37歳のときイギリスから帰国し、翌年第1次伊藤内閣および黒田内閣の文部大臣となり、帝国大学令以下の学校令を公布して学校制度(学制)の改革を行った。

彼は、義務教育による国民皆学、帝国大学を頂点にした能力主義による学校システムの構築、検定による教科書の質の向上、という独自の路線を打ち出した。また、修学旅行、運動会なども彼によって制定された。彼は、精神主義的な「修身」ではなく、実利的な知育体育を重んじる学制の充実によって、国民の統合を図ろうとした。

この学校令では、帝国大学に進む系統とは別に師範学校の系統がたてられ、師範教育が重視されたことに特徴があった。その文教政策は一般に「国家主義的教育」といわれているが、有禮自身は伊藤博文に「日本産西洋人」と言われたほどに西洋的で自由主義的な主張を持っていた。

たとえば、廃刀論、英語を国語として採用しようとしたこと、蓄妾制(ちくしょうせい:妾を囲ってもいいという制度)を非難した妻妾論(蓄妾や家父長制、男尊女卑などの封建的習慣を批判した考え方)などだ。
また彼は、かなりの天才肌で、発想も常人離れをしており、義務教育で日本語を廃止し英語を国語にしようとした。
私財により商法講習所(一橋大学の前身)を設立した。

有禮は、東京帝国大学卒業生を官吏登用の際に於いて優遇する勅令を取り付けた。政府は、藩閥体制から学閥体制へと移行し、やがて東京帝国大学の卒業生は官界のみならず、財界でも重用されるようになった。この功績によって子爵に叙せられた。日本の学歴社会を生み出したのは、実は初代文部大臣 森有禮である。

有禮は、伊勢神宮に参拝したとき、靴をはいたままであがり、ステッキで御簾をあげてのぞくなどして、皇室を軽んじたなどという噂が立った(そのような事実があったか否かは不明)。

1889(明治22)年2月11日の大日本帝国憲法発布の日、森宅に羽織袴の正装の人物が現れ、西野文太郎であると名乗り、「大臣の参朝途中を狙い暗殺を企てるものが居る」と言った。秘書官は西野を邸内に招じ入れて詳細を聞こうとした。

大礼服に身を固めた有禮が現れたところ、西野はすかさず有禮に飛びつき、左腹部に出刃包丁を突き立てた。国粋主義者 西野はその場で警護に斬殺された。
有禮は病院に運ばれたが、翌日絶命した。

森有禮は、前例にとらわれない理論家であり、学制について画期的な改革を行っている。当時の政府権力者は、それができる環境にあった事も確かだが、中には考えさせられる施策もある。

企業においても、いろんな制度やルールがあるが、世の中は刻々と変わるもので、いつまでも古いしきたりに固執するのは考えものだ。制度やルールは随時見直しをすることにより、活きたものとなる。


森有禮の本
  森有礼 悲劇への序章 (林竹二著作集)
  森先生伝―伝記・森有礼 (伝記叢書)
  森有礼 (人物叢書 新装版)
  秋霖譜―森有礼とその妻
  国家と教育―森有礼と新島襄の比較研究

秋霖譜―森有礼とその妻