生きる価値を求める

三松正夫

きょうは昭和新山の持ち主で火山研究家 三松正夫(みまつ まさお)の誕生日だ。1888(明治21)年生誕〜1977(昭和52)年逝去(89歳)。

北海道の噴火湾に面する伊達町(だてまち、現 伊達市)で生まれる。北海中学を中退後、壮瞥(そうべつ)郵便局に務め、その後郵便局長になった。
近くにある有珠山(うすざん)が三回噴火したが、これを詳しく観測・研究した。

1943(昭和昭和18)年から1945(昭和20)年にかけて、有珠山の東側の麦畑が突然隆起して、新しい火山「昭和新山」ができた。三松は、この火山の様子をいろんな工夫をして観測・記録した。
1943(昭和18)年12月28日に始まった有感地震は多いときには一日200回近くを数えた。翌19年になると地震の回数は減ったが、地割れや地面の隆起が始まり、時には一日に30cmも隆起した。
6月23日から噴火が始まり、10月下旬まで続いた17回の爆発により隆起速度はさらに速まり、大地は標高300mの半円形の小山に達した。11月11日になると噴火口から固まった溶岩が地表に突き出て隆起を続け、1945(昭和20)年9月に407mに達したところで活動を停止し、現在の「昭和新山」が誕生した。

昭和新山が噴火した頃は第二次世界大戦の末期で、軍部はこれを機密事項にし、火山学者も十分な調査・観測ができなかった。
このとき地元の郵便局長 三松は、この火山活動を歴史の空白にしてはならないと冷静な観察眼で創意工夫と努力、想像を絶する苦難を重ねて、火山誕生の経過を克明に記録した。その一つが「ミマツダイヤグラム」である。

三松は言った。「軍が何と言おうと、火山の活動が戦争にどのように影響があろうとも、誰かがこの地震と地形の変化を見守っていかなければならないでしょう」

三松は、噴火により不安に怯える住民を励まし、時には避難も勧めた。一方で自分は噴火の現場へと足を向けた。「みんなが逃げようとしているのに、あなたは、そこへ行こうというのですか」と妻が引き止める。しかし、三松は爆発の収まった火口をその目で確かめたいと噴煙目掛けて走り出した。

また、新山が噴火により隆起している間に、三松は戦地に赴いた二人の息子を失った。三松夫妻に残されたのは長男 正一の妻とその長女だけだったが、その子の母も出産と同時に亡くなるという不幸を伴った。
三松に残された使命感は噴火する山しかなかったのかもしれない。二人の息子を戦争で失い、生きる価値を求めるのは新しく生まれた火山しかなかったのだろう。

三松は、この火山を開発などから守るため、先祖代々の土地を売り払った私財をすべて投じて新山付近の土地を買い取り、「昭和新山」を自然のままで残すことに力を注ぐなど、その保護にも努めた。

戦後の混乱も終息すると観光ブームとなり、年間50万人を超す観光客が訪れるようになった。新山を売ってくれと3億円という値段が付いた。戦後の生活はわずかばかりの恩給しかなく生活は苦しかったが、三松は山を手放さなかった。

ある人に言われた。「局長さんは利口だと思ったが、やはりバカですね。新山を売らないばかりか、観覧料も取らない。いくらでも儲けられるはずだのに儲けようとしないのはほんとにバカな人ですね」
「バカかもしれないが、そのお陰で大ぜいの人が儲けているからそれでいいではないか」、私利私欲を捨てた三松の言葉だった。

昭和新山」は、北海道洞爺湖南岸にある標高402.3mの活火山で、地下で固まったマグマがそのまま押し上げられた世界でもまれな「ペロニーテ火山」で国の特別天然記念物に指定されている。現在も時折ガスを噴出している。

昭和新山の噴火50周年を記念して、同山の麓の広場に、1993(平成5)年12月に像が建立された。今も噴煙を上げる新山の方向を向いて測量機を覗く、火山研究者の三松正夫の像だ。測量をする姿の像はめずらしい。また、近くには三松正夫の記念館もある。

三松正夫は、戦争中でもあったが、家族を次々と失うなどの不幸に遭いながらも、新山の観測・研究に力を注ぎ、火山研究において貴重な記録を残した。そして、貧しい生活でありながらも、新山一帯を私財を投じて買いそれを保護するという、当時としては想像もできないことを実行している。

企業においても、いくら利益優先であっても、社会のため、人のためを優先する場合がある。特に今後は、そのような考え方の企業が評価されるようになりつつあり、企業の本来あるべき姿に向かおうとしている。


三松正夫の本
  昭和新山物語―火山と私との一生 (自然の記録シリーズ)
  わが子昭和新山―昭和新山の誕生を記録した三松正夫 (PHPこころのノンフィクション 13)
  火山一代―昭和新山と三松正夫 (道新選書 (17))
  生きている火山―昭和新山のおいたち (福音館のかがくのほん)
  昭和新山 (文春文庫)
わが子昭和新山―昭和新山の誕生を記録した三松正夫 (PHPこころのノンフィクション 13)