日本未曽有の女傑

下田歌子

きょうは実践女子学園を創立した教育家で歌人 下田歌子(しもだ うたこ、旧姓:平尾、幼名:鉐 せき)の誕生日だ。
1856(安政3)年生誕〜1936(昭和11)年逝去(80歳)。

美濃国恵那郡岩村町(現 岐阜県恵那市)に岩村藩士 平尾信享の長女として生まれる。祖父は著名な儒者 東条琴台(とうじょう きんだい)で、父もまた尊皇を説く学者だったが、それ故に鉐の幼時、平尾家は藩中にあって不遇の時代を過ごした。

明治維新の過渡期において、失意と貧困の暮らしのなかで、両親は鉐を優しく育み厳しく教育した。それに応えて鉐は、幼いときから和歌や俳句、漢詩日本画に秀で、「神童」と評された。
江戸は明治と変わり、祖父と父は政府の招聘を受けて上京、鉐もそのあとを追って、1871(明治4)年15歳のとき上京した。故郷の国境、三国山の峠で、鉐は「綾錦着て帰らずは三国山またふたたびは越えじとぞ思ふ」という歌を詠んだ。
東京では、学問に励み、歌を詠み、凧の上絵を描く仕事で家計を助けた。

1872(明治5)年 宮内省に出仕し、皇后 (のちの昭憲皇太后) にお仕えした。皇后の歌会の折り、「春月」という題に鉐は「手枕は花のふぶきに埋もれてうたたねさむし春の夜の月」と詠った。その歌才を愛でられ皇后より「歌子」の名を賜った。
この頃、フランス語を仏人 セラゼンに学んだ。

1879(明治12)年23歳のとき宮内省を辞職し、同年12月 東京府士族 下田猛雄と結婚した。しかし1884(明治17)年28歳のとき夫 猛雄と死別。
その後、再び宮内省に奉仕した。

宮中で才女の誉れ高かった歌子には教育者としての期待がかかり、1881(明治14)年25歳の時、「桃夭(とうよう)女塾」を創設した。
1885(明治18)年29歳の時、新設された「華族女学校」(現 女子学習院中等部)に迎えられ、校長は谷干城、歌子は学監(校長代理)を任ぜられた。

その傍ら、2人の内親王の教育掛かりの命を受け、そのために先進諸国の女子教育の状況を視察するため、1893(明治26)年から2年間にわたって、イギリスを中心に欧州諸国とアメリカへを巡った。1895(明治28)年にバッキンガム宮殿においてヴィクトリヤ女王に拝謁を賜わった。

この視察で最も大きな感銘を受けたのは、イギリスでは皇女も一般市民と同じ教育をパブリックスクール (私学) で受けているということだった。
そして「国力の基は一般子女の教育にかかっている」という結論を得た。

1898(明治31)年32歳の時、「帝国婦人協会」を設立、会長となった。これまで上流婦人に偏っていた婦人団体の組織を広く一般に開放した全国的組織で、その目的は「新時代に生きる女性の教養とそれに裏付けられた実践力を身につけ、生活と社会の改善をはかる」ことにあった。

そしてその一環として、1899(明治32)年33歳の時、「実践女学校」(現 実践女子学園)と「女子工芸学校」を創設した。
深い日本的教養と欧州留学で培った思想を併せ持った歌子は、自らの教育にかける信念を、「実践」という理念を校名に冠することによって表明した。
女子教育に情熱を傾け実践してきた歌子の精神は、21世紀を迎えたいまもこの学園に受け継がれている。

1906(明治39)年50歳の時、華族女学校が「学習院女子部」になると、学習院教授兼女子部長となった。1907(明治40)院長となった乃木希典(のぎ まれすけ)との不和から罷免された。
1920(大正9)年〜1931(昭和6)年、愛国婦人会長に就任した。

こうして、歌子は子供の頃から熱望しながら、女性であるがためにゆるされなかった学問への道を、女性たちのために開いていった。
祖父から学んだ女子としてのたしなみと自立心、そして知育の精神など、幾多の教育活動は、彼女が得てきたものの集大成である。
学者としては源氏物語の外著書があり、意志強固、熱弁家で男子をも凌ぐ明治・大正の日本未曽有の女傑だった。

歌子は美貌と才能から「明治の紫式部」と呼ばれ、政界の大物や飯野吉三郎(岩村出身、呪術を学び新宗教を興した)らとのスキャンダルが当時の新聞を賑わしている。1905(明治38)年には「下田歌子型」なる髪型が流行した。

下田歌子は、女子教育に一生をつくした人であり、その精神は今も受け継がれている。明治・大正という女性の地位が低い時代において、観念論でなく教育を実践することによりその地位を上げようと考えることに意味があった。

企業においても、教育は重要なテーマであるが、教育される人が受身で「教育してくれる」と考えているようでは効果は期待できない。やはり、教育は「自ら学ぶ」姿勢を理解することから始めなくてはいけない。


下田歌子のことば
  「社会を変えるのは女性である。そのためには女性が変わらなくてはならない」


下田歌子の本
  叢書女性論 (7)
  花の嵐―明治の女帝・下田歌子の愛と野望
  下田歌子先生伝―伝記・下田歌子 (伝記叢書)
  妖傑 下田歌子
  妖傑 下田歌子妖婦 下田歌子―「平民新聞」より