窮余の策であった

シュペーマン

きょうはドイツの発生学者で形成体を提唱した シュペーマン(Hans Spemann)の誕生日だ。
1869(明治2)年生誕〜1941(昭和16)年逝去(72歳)。

ドイツのシュトゥットガルトで生まれた。父親はこの街で有名な書籍商で、シュペーマンは4人兄弟の長男であった。そのため、後に父のあとを継ぐために出版業者の徒弟となった。

エーバーハルト・ルードヴィヒ・ギムナジウム(進学目的で中高を一緒にしたような学校、12〜18歳が通う)を卒業したあと1年間 カッセル軽騎兵で兵役をつとめた。兵役を終了した後、彼は医学を志し、1891年22歳の時ハイデルベルク大学へ入学し、比較解剖学を学んだ。
1894年に卒業すると、博士の学位を取得するためにヴェルツブルク大学へ入り研究を続けた。ここで、動物学者 ボヴェリーの指導を受け、動物学に転じた。その後、1898年29歳の時 同大学の動物学の講師に任命された。

ロストック大学教授(1908〜1914年)を経て、1914年から1919年には、ベルリンのダーレムのあるカイザー・ヴィルへルム生物学研究所の所長をつとめた。この間に彼の研究は最高潮に達した。その後 ブライスガウのフライブルク大学動物学教授となり、1935年66歳で退職した。

シュペーマンは、多くの重要な研究をしたが、特にハイデ・マンゴルド(1881〜1962年)の助力のもとで行ったイモリ胚における形成体作用の発見(1924年55歳)は、20世紀の実験発生学の発展方向に決定的影響をあたえ、細胞間の相互作用で発生の過程を理解することが可能になった。

彼は、両生類の発生を研究するために特別な細微手術法を考案して、精密な欠除実験・移植実験・結さく実験などを行った。たとえば、赤ん坊の毛髪から可能な限り細いものを選び、その毛でイモリの卵の中央を、砂時計のようにくくった。

また、これらの精密な実験を行うために自ら手製の手術具を作り出した。それはガラスを引き延ばし、先をいろいろな形に整えたものであった。当時ドイツは第一次大戦での敗戦によって、実験を行なおうにもろくな設備など整えられない状態にあった。彼の実験は、云わばそんな状況の中での窮余の策であった

「胚誘導」の発見により、1935年 ノーベル生理学・医学賞を受賞した。胚誘導は、ある胚域の細胞が他の胚域の影響下で、特定の器官又は組織に向けて決定される現象で、「オーガナイザー」と名づけた形成体がこの誘導において重要な働きをする。また彼は、発生学の研究を遂行する中で微細な「顕微手術」の技術を開発した。1941年フライブルクで亡くなった。

シュペーマンは、当初 医学を目指すが途中から動物学に変更している、どちらも人類のためという観点では同じだが、やはりヴェルツブルク大学での動物学者 ボヴェリーの影響が大きかったのだろう。またマンゴルド夫妻という優秀な共同研究者にも恵まれている。

企業においても、話のわかる上司や、気の合う同僚、優秀な部下に恵まれるに越したことは無いが、一般的には、ことごとくうまくいかないものだ。
しかし、それを前向きに変えるのも仕事のうちであり、一番の近道は自分が「話がわかる上司、気の合う同僚、優秀な部下」になることだ。 

★形成体(:オーガナイザー)★
イモリの胚では、発生するにつれて脳の原基の一部が突出し、これが外胚葉に接触すると、この突出部分が目の網膜となり、一方接触を受けた外胚葉はレンズに分化する。これはシュペーマン以前に明らかにされていることだった。 

そこでシュペーマンは、発生の初期の段階でこの突出部を注意深く破壊すると、網膜だけでなくその後形成されるはずのレンズも分化してこないことを示した。そして彼は、外胚葉がレンズになるためには、脳の突出部による刺激が必要であると結論づけた。
 
次に彼は、自ら開発した顕微手術によって、本来レンズになるはずの外胚葉の部分を取り除き、かわりに胚の他の部分の外胚葉片をここに移植した。すると、網膜の原基であるこの突出部に接触すると必ずレンズを形成することが証明された。
 
彼は胚発生における分化の原因に関する研究も開始した。マンゴルトらとともに、胚の様々な部分を同じ胚の他の部位や他の胚に移植した。そして、外胚葉は原腸形成時に中胚葉と接触すると、最終的に中枢神経系に分化することが明らかになった。
 
シュペーマンとマンゴルト夫人(26歳で事故死している)は、ある胚の原口背唇部の中胚葉を別の完全な胚に移植することによって、2次的な中枢神経系の誘導に成功した。
 
こうしてシュペーマンは,ある胚域がこれに接触した胚域の組織分化に影響を与えることを証明した。彼はこのような効果をもつ胚域を形成体(オーガナイザー)と名づけた。 



シュペーマンの本
  進化論の基盤を問う―目的論の歴史と復権
  ダーウィン教壇に立つ―よみがえる大科学者たち