さりげなく創りあげてしまう

ケルビン卿

きょうはイギリスの物理学者 ウィリアム・トムソン・ケルビン(Lord William Thomson Kelvin、通称:ケルビン卿 Lord Kelvin)の誕生日だ。
1824(文政7)年生誕〜1907(明治40)年逝去(83歳)。

アイルランドベルファストに生まれる。研究者一家で、父はグラスゴー大学の数学教授、兄は同グラスゴー大学の物理学教授だった。ウィリアムはまれにみる天才で、10歳のときにグラスゴー大学に入学が許可されている。

1845年ケンブリッジ大学を卒業し、1846年 弱冠22歳でグラスゴ−大学の物理学教授になった。同年、電気伝導・熱伝導の研究により、ヒステリシス現象を発見した。またイギリスの大学で最初の物理学実験室を作った。
特に、カルノーの理論を発展させ(1848年)絶対温度の導入、クラウジウスと独立に行われた熱力学第二法則(トムソンの原理)の発見(1851年)、ジュールと共同で行われたジュール=トムソン効果の発見(1852年)などといった業績がある。
これらの貢献によって、クラウジウス、ランキンらと共に古典的な熱力学の開拓者の一人と見られている。

1853年から電気学の研究を行い象限電位計、鏡検流計を作った。潮汐の理論を発表し(1875年)、海底電線の敷設に貢献した。 このほか電磁気学流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文を発表した。また、電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた人物でもある。

ウィリアムは地球科学についてもいろんな説を唱えている。地球は、火の玉地球が冷えて今日に至ったとして、年齢はせいぜい数千万年〜数億年という値を出して、当時の地質学者たちから反発を受けている。また、地球の生命の起源について、生命は隕石に付着して地球に持ち込まれたという説を唱えている。

熱に関する研究により熱力学を確立させ、電磁気学の研究は電磁場の理論の先駆となった。1866年ナイトの爵位を得た。1890年王立協会会長となった。彼が亡くなったときはイギリスの国葬だった。

ウィリアムは爵位を得た時に"ケルビン"を名乗るようになった。ウィリアムは22歳からグラスゴー大学の教授を勤めてきた。そのグラスゴー大学の構内に小川が流れていて、その名前が"ケルビン"だった。ウィリアムはその小川の名前にちなんで「ケルビン卿」と名乗った。その名はのちに、温度の単位名K(ケルビン)になった。

ケルビンは熱力学、電磁気学などで巨大な足跡を残しているが、彼は、まったく新しい考え方・法則を発見するというタイプという学者ではなく、発見されている法則を応用することに長けているというタイプの学者であったという評価もあるようだ。考え方によれば、偉大なことをさりげなく創りあげてしまうということか。

企業においても、毎日バタバタと走りながら人一倍残業をしても、いつも納期遅れの人がいる。逆に、いつやっているかわからない感じで悠々としていても、きちんと納期を守り内容もすばらしい人がいる。これは、いわゆる「要領のよさ」であり、濃淡がはっきりしているということなのだ。「忙しい。忙しい」と言う人に、仕事のできる人はいない。

★熱力学の法則★  
第1法則は、エネルギーの一形態である熱量は物体から物体へと移り変わる際にも、その総量は増減せず保存されると規定している。「エネルギー保存の法則」を熱量に置き換えたもの。

第2法則は、熱量は高温物体から低温物体へと一方向にのみ流れるといった、熱現象の非可逆性を定義している。「エントロピー増大の法則」とも呼ばれる。



ケルビンに関する本
  温度をはかる (はかってみよう)
  温度をはかる―温度計の発明発見物語 (サイエンスシアターシリーズ―熱をさぐる編 温度と原子分子)
  熱をはかる (はかるシリーズ)
温度をはかる―温度計の発明発見物語 (サイエンスシアターシリーズ―熱をさぐる編 温度と原子分子)