金も名誉も肩書も

沢木興道

きょうは明治・昭和期の仏教学者、曹洞宗師家 沢木興道(さわき こうどう、本名:才吉、号:祖門)の誕生日だ。
1880(明治13)年生誕〜1965(昭和40)年逝去(85歳)。

三重県津市に人力車の金具作りの家に生まれた。幼少にして両親を失い、一家は離散した。提灯屋に引き取られ、ここで博打の張り番や提灯の張替え、寄席の下足番をさせられ、「無上の生活」を求めて人生の矛盾に苦しんだ。

17歳のとき出家を志して家出、四日四晩歩きとおして越前の永平寺に入った。永平寺ではお坊さんにしてもらおうと頼み込むが許されなかった。しかし二昼夜飲まず喰わず頼み続けるうちに、寺男の一人として暫く置いてもらえることになった。
「やっとのことで男衆にしてもらえたが、そのときの嬉しさというものは、一生忘れられるものではない。感激の涙が出て仕方がなかった。そして、出会う坊さんは、どの坊さんも一人一人が菩薩さまのように見えた。そのとき縞のひとえものを一枚着たきりであったが、門前の庵主が雲水の捨てた破れた法衣を拾い集め、つづり合わせて、法衣の型に作ってくれた。それを着せてもらって、坊さんのような恰好になれたときは、感激と喜びにぽろぽろと涙をこぼした」

1898(明治31)年19歳のとき熊本県宗心寺住職 澤田興法について得度(とくど:出家して僧になること)。丹波京都市)円通僧堂に掛搭(かた:僧堂に籍をおいて修行すること)、笛岡凌雲方丈に随身(ずいじん:供としてつき従うこと)した。

1900(明治33)年〜1906(明治39)年、兵役に服し、日露戦争に従軍した。除隊後、法隆寺勧学院の佐伯定胤(さえき じょういん)について法相唯識(ほっそうゆいしき:法相宗の根本になる教え)を学んだ。

1912(大正元)年33歳のとき三重県松坂市 養泉寺僧堂の単頭(指導監督にあたる役)に就任した。1916(大正5)年37歳の時、丘宗潭に会い、熊本市大慈寺僧堂講師となり、当時の五高生の参禅(座禅を組むこと)を指導した。

1922(大正11)年43歳のとき大慈寺を去り、熊本 大徹堂に入った。1923(大正12)年には万日山に引っ越し、移動叢林(いどうそうりん:全国の有縁の人達の処に出向いて無所得無所悟の純粋なる禅を指導すること)を始めた。

1935(昭和10)年56歳のとき駒澤大学教授および総持寺後堂職に就任した。1949(昭和24)年70歳のとき京都 安泰寺に「紫竹林参禅道場」を開いた。1957(昭和32)年10月78歳で曹洞宗立僧堂師家に就任した。

1963(昭和38)年84歳で駒澤大学教授を辞任、名誉教授となり、安泰寺に退いた。1965(昭和40)年12月21日示寂(じじゃく:高僧が亡くなること)、反骨ながら真剣な人生を終えた。

興道は、「宿無し興道」の異名を持ち、生涯独身で、これといった寺や家を持たず、各地で禅の指導に尽力した。大学教授のときも、学生を自室に招いて面倒を見たり、気ままに過ごしていた。正法眼蔵や証道歌、信心銘の提唱など著述が多い。

沢木興道は、近代曹洞宗の高僧であった。しかし、日露戦争で徴兵された折りには、塹壕(ざんごう)で震える上官を殴り飛ばす。あるいは空漠な理屈に耽る僧たちの顔に放屁ひとつで批評する。そして、生涯、妻も寺も持たず、金も名誉も肩書も、悟りすらも求めない坐禅に身心を投げ入れて生き抜いた禅僧だった。

企業において、社員は出世と昇給のみを求めがちである。しかし、日頃の満ち足りた生活の中で、たまには断食をするのが健康に効果があるように、出世とか昇給を考えないで業務に打ち込む時期があってもいいのではないか。


沢木興道のことば
  「成程、私の宗旨は悟も要らん、悟もない。小声で『悟もない』と云ふのでない。
    大きな声で『悟もない!』と云ふのである」
  「ザッと言うな。 アホのくせして黙っとれ」
  「どっち向いて偉いんだか。」
  「金持ちを自慢する奴やら、地位を自慢する奴やら、サトリを自慢する奴やら。
    このごろの者はアタマが悪いかして、よう凡夫たることを披露しよる。 」
  「ツクリモノを一切ぶちこわして 中味を現ナマでやるのが 
    禅者の生活でなければならぬ」
  「自分が美味いものを食わんでもいい。また、出世せんでもいいが、
    しかし、人の美味いものを食いたがる気持ち、
      出世したがる気持ちもわからんようなアホではダメだ。」
  「『悟った』と言えば、一歩 余計じゃ。『悟っていない』と言えば、一歩 足らぬ。」
  「全部いただく、えり食いはせぬ」


沢木興道の本
  禅の道―道元禅師に叱られて
  禅とは何か 証道歌新釈
  学道用心集講話
  沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)
  禅に聞け―沢木興道老師の言葉
沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)学道用心集講話禅とは何か 証道歌新釈禅の道―道元禅師に叱られて