頑固、尊大な性癖がネック

佐藤信淵

きょうは「江戸」を「東京」と改称することを提案した経世家であり農政学者の 佐藤信淵(さとう のぶひろ、字:元海、通称:百輔)の誕生日だ。
1769(明和6)年生誕〜1850(嘉永3)年逝去(80歳)。

出羽国雄勝郡西馬音内(現 秋田県雄勝郡羽後町)に秋田藩士として代々、医者や鉱山・農業の学者の佐藤家に生まれた。信淵は、常人の枠をはみ出た言動が多く、「佐藤の狂漢(ばかおんじ)」と呼ばれ奇人扱されていた。少年時代は、近所の子供達といたずらばかりする腕白だった。そんな信淵だったが、本を読ませたり、文章を書かせたりすると、人が変わったようになり、大人も驚くほどだった。また、武芸にも優れていて「佐藤の神童」と近所の評判を集めていた。

信淵がまだ幼児の頃、阿仁鉱山の鉱脈調査のため平賀源内が秋田へ来た。百科全書的天才の平賀源内は、小田野直武と出会い、蘭画(=洋画)の技法を伝授し「秋田蘭画」を根付かせた。この源内の学問スタイルが信淵に大きく影響した。
信淵は13歳の頃から教育熱心な父について、奥羽・関東を遍暦した。そのころ天明の飢謹に際会し、窮民の惨状を見て、 その後の彼の学説に大きな影響を及ぼした。1785(天明5)年、信淵16歳にして父信季が足尾銅山で客死した。

信淵は、きわめて知的好奇心が強く、父の遺言により江戸へ出て、蘭学本草学を宇田川玄随(うたがわ げんずい)に、儒学井上仲竜に、天文地理を木村泰蔵らに学び、自らも諸方に遊歴し学を深めた。その知識修得欲はすさまじく、農学・経済学をはじめ、天文・測量・気象・鉱山・兵学・医学・政治・教育・地理・歴史などあらゆる学問分野を研究対象とした。

27歳の時京橋で医業を営み始めた。その後、修学時代を経て、阿波藩(現 徳島県)の兵学顧問となり三年ほど滞在した。この時、夷船襲来に対抗する「自走火船」を考案し、求められて幕府にもこれを伝授したことから一躍天下に名声が上がり、門人が増え、西洋兵学や防海策等を講じた。

その後、再び江戸に出て幕府の神道方 吉川源十郎に入門し、更に47歳の時 上総国(現 千葉県)で7歳年下の平田篤胤(ひらた あつたね)に師事し、彼の思想に決定的影響を受けた。

また同時に神道をめぐる事件で江戸払い(江戸市内に居住を許さない追放刑)になったが、経世家としての名声は高く、彼の教えを請う諸侯は多かった。
彼の儒学思考は「古学」派に属し、国学神道は篤胤の復古神道、さらに本居宣長の影響も強い。

彼によると、日本の悲惨な現実は、「開物」の業が不十分であることと、富家の偏りがはなはだしいことによる。その対策として、前者に対しては「開物の法」=上からの殖産興業の策とし、後者に対しては分配の公平を行う「復古法」を充当する。
「開物の法」では、農作物の生産性をあげることと並んで航海通商の必要を唱えている。だがこの路線は海外侵略主義にいきついてしまった。

その後、彼の思想は進歩をみせた。幕府の士農工商の別を廃し、国民全体をすべて国家の官吏、または国家の労働民とし、―民に一業を与えてその兼業を許さず、一切の売買・賃貸・雇用の私営を禁じてこれを公営とし、租税を廃し、国家費用は事業公営の利潤の一部によってまかない、生産資本・土地の固有を主張して、早熟的な「国家資本主義」ないし「社会主義」の構想を展開した。

著述300種8000巻といわれる数多くの著書も刊行しているが、自著浸透の狙いを領主階級に定め、上からの政治によって自らの理想を実現しようと考えた。
しかし、持ち前の頑固、尊大な性癖がネックとなり、持論の支持を得ることはできなかった。

江戸を「東京」と改称し都を置く、「二都制」をも提唱した。国学の古道説に西洋天文学を交えた宇宙論を哲学的基礎として、農政経済論を説き、空想的な社会改革論を展開した。また地学の前段階ともいえる、鉱物学やそれに伴う地層学の研究家としても日本史上、傑出した人物であった。

辛苦窮乏の間にも意欲は旺んで、その気慨は常ならず、経国の学問の一大組織を完成し、経世済民の為に生涯をつくした。しばらく佐藤信淵の名は埋もれていたが、明治の農業史家 織田完之(おだ かんし)によって発掘され、それ以来注目されるようになった。しかし、その評価は研究者によって定まっていない。

佐藤信淵は、学問の幅が広く、また日本全国を旅しながら、実地で考えていることから、その信念は非常に重いものがあったようだが、説明のしかたが強引過ぎたのか、ことばが難しすぎたのだろう。結果として、幕府に受け入れられなかった。

企業においても、知識を広く深く持つことは大きな強みになるが、それに加えて、プレゼンテーションの技法を工夫することで理解を深めることができる。また、人間性の高さにより、人を納得させることができる。


佐藤信淵の本
  佐藤信淵家学全集〈上巻〉(中巻)(下巻)
  佐藤信淵の虚像と実像―佐藤信淵研究序説