理解され親しみやすい

川端康成

きょうは日本文学を世界に知らしめた小説家 川端康成(かわばた やすなり)の誕生日だ。
1899(明治32)年生誕〜1972(昭和47)年逝去(72歳)。

大阪市天満此花町で医師 川端栄吉の長男として生まれた。姉と2人姉弟だったが、3歳までに両親を亡くし孤児となった。祖父母と共に大阪府三島郡へ転居した。姉は叔父の家にあずけられて、同じ大阪にいながら別れ別れに育った。その姉も彼が小学校3年10歳の時に亡くなった。8歳で祖母、16歳で祖父が亡くなり、母の実家に引き取られた。

親戚を点々としたため居候癖が身に付き、ご飯の三杯目のお代わりはそっと出すのは当たり前で、出来るだけ何処にいるか分からない目立たぬような生き方をしていた。物事の神髄を見抜く冷厳な眼は、この生い立ちの中で形成され、その後の川端文学を特徴づけることとなった。
旧制茨木中学には一番で入学したが、以外にも作文は最低だった。小学生の頃は将来画家を志したこともあったが、中学2年の頃から小説家を志望し、「新潮」「新小説」「中央公論」などを読みはじめた。彼は中学校3年のころから短い小説を書き出した。中学校は家から4kmのところにあったが徒歩での通学で、虚弱体質の改良になったようだ。

1917(大正6)年に18歳で東京へ出て、旧制第一高等学校へ入学。一高2年の秋に初めて伊豆の旅をして、旅芸人一行と道づれになった。このときの体験が「伊豆の踊り子」になっている。それ以来川端は伊豆が好きになり、湯ヶ島湯本本館を定宿として滞在し、山をぶらぶらと歩き回った。伊豆での気ままな暮らしは、彼を生き返らせ、そして伊豆は川端の第二の故郷になった。

1920(大正9)年、東京帝国大学英文科に入学するが、翌年 卒業の楽な国文科へ転科した。在学中の1921(大正10)年、第6次『新思潮』で発表した「招魂祭一景(しょうこんさいいっけい)」をきっかけに、菊池寛に認められ、交流を持つようになり、文壇への道が開けていった。

1924(大正13)年に帝大を卒業し、1927(昭和2)年28歳の時、横光利一片岡鉄兵今東光らと同人誌『文芸時代』を創刊した。この同人誌は「新感覚派」と言われ、新進作家が多数集まった。そして昭和初期には新興芸術派の中心的な存在となった。その「文芸時代」に「伊豆の踊子」を発表、その清新な作品は、川端の初期の代表作となった。

「浅草紅団」「禽獣」など、新進作家として旺盛な執筆活動を開始した。そして1935(昭和10)年代には名作「雪国」が発表され、日本のあわれな美しさと、そこに生きる人々の繊細な心の揺らめきが多くの読者を魅了した。京都が舞台の「古都」もまた日本の伝統と自然を描いた作品で、京の四季折々の行事と風物が織り込まれ、日本人の戻るべき「ふるさと」の姿を京都という地に見いだした。

川端は、カジノフォーリーの踊り子で、後に映画女優になった梅園竜子のファンだった。あるとき彼が彼女に「雪国」を読ませて感想を求めたところ、彼女いわく「先生、こんないやらしいことなさったんですか?」。その頃のカジノ・フォーリーには、当時の新進作家が多く出入りしており、特に彼は、踊り子から「川端の兄さん」と呼ばれていた。「浅草紅団」はここをテーマにしている。

1945(昭和20)年46歳の時、鎌倉で久米正雄高見順らとともに貸本屋鎌倉文庫」を開くが、製紙会社の出資で出版社となり、雑誌「人間」を創刊するほか、多くの本を送り出した。

川端は、1957(昭和32)年58歳の時、日本ペンクラブ会長として、国際ペンクラブ東京大会開催に尽力し、翌年には国際ペンクラブ副会長に推された。
下中弥三郎湯川秀樹らの「世界平和アピール七人委員会」にも加わった。また、三島由紀夫をはじめ多くの新人作家を見出した。

1968(昭和43)年69歳の時、日本人として初のノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。日本文学は難しい漢字と微妙な表現で、なかなか世界に知られなかった。しかし川端文学は世界の人に理解され親しみやすい作品であったようで、早くから外国語訳された作品が出回っていて、受賞に有利だったようだ。

1972(昭和47)年3月 急性盲腸炎のため入院手術、15日に退院したが,その翌月の4月16日の夜に、仕事部屋にしていた逗子のマンションでガス自殺をした。
遺書は無かったが、理由として交遊の深かった三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺もあった。

川端康成は、幼い頃に彼の一生分の不幸を全部背負い込んだような感じだった。どん底を知った彼は、以後 開き直りとも思えるような気ままな暮らしをしながらも、いろんな人にも恵まれ、作品を書きつづけた。しかし、彼のなかには拭い去れないものがずっとあり、最後にはそれに耐え切れなかったようだ。

企業においては、いろんな環境で育った人が業務に携わっているわけだが、暗い思い出のある人はそれを忘れるぐらいの高い目標を持ち業務に励むこともできる。そのなかで、ひとりでも信頼できる友達を見つけることができれば、企業にかかわった意味がある。怠けていては誰も近寄ってくれない。


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川端康成の本
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  美しい日本の私 (講談社現代新書)
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  川端康成―その遠近法
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