大人の心にも訴える
きょうは「日本のアンデルセン」と呼ばれる童話作家 浜田広介(はまだ ひろすけ、本名:廣助)の誕生日だ。
1893(明治26)年生誕〜1973(昭和48)年逝去(80歳)。
山形県東置賜(おいたま)郡屋代村(現 東置賜郡高畠町)に農業 浜田為助の長男として生まれた。浜田家は代々寺子屋を営み、また母方の祖父は村医で、絵や彫刻に秀でていた。広介は尋常小学校高等科三年 13歳の時、時事新報社発行「少年」に作文を投稿し優等に入選した。また14歳の時、児童文学者 巖谷小波(いわや さざなみ)主筆の雑誌「少年世界」の懸賞文に投稿、しばしば入選した。
1914(大正3)年米沢中学を卒業した広介は、早稲田大学英文学科へ入学した。広介は西洋のお伽噺(おとぎばなし)を訳すアルバイトをし、その時アンデルセンの童話に出会った。在学中の1916(大正5)年 広介は大阪朝日新聞の新作お伽噺の懸賞募集に「黄金の稲束」というお伽噺を応募し一等に入選した。選者は巖谷小波で、翌年の朝日新聞に掲載された。賞金は当時のお金で五十円、現在のお金で三十万円相当だった。
広介は当時を振り返り、「賞金は私を助けてくれ、やがて消えていきました。世の中のお金は、一度、私のふところに入りましたが、まもなく、そこから抜け出して、また世の中に帰っていきました。けれども、小波先生のお言葉は、その時以来、私にとっての『道しるべ』として頭に長く残るものとなりました」
小波の評言の内容は、「これまでのお伽噺は、善玉悪玉の二つを出して、悪をこらし(懲らす:こらしめる)、善をすすめてきたのであるが、今度の作は、もっぱら善を語ろうとするかに見える。そうなら、これは積極的な意図というべく、この方向は今後におけるお伽噺の新しい歩みかたともなるであろう」
以後、広介はこの言葉を『道しるべ』とし、独自の「童話」を確立していった。
広介は、これを機に児童雑誌「良友」に寄稿した。アンデルセン童話に傾倒するとともにロシア文学を好み、1918(大正7)年25歳で早稲田大学英文科を卒業後、コドモ社に入社した。同誌の編集者となり、1920(大正9)年12月に退社するまで、「むく鳥のゆめ」「光の星」などを次々と発表した。
1921(大正10)年28歳の時、広介は新生社から「椋鳥の夢」という童話集を発行した。それまで子供向けの創作は「お伽噺」と呼ばれ、「童話」と言う呼称は、浜田広介が自らの作品を「ひろすけ童話」と呼んだ事が始まりで、「椋鳥の夢」には「ひろすけ童話」と銘うってある。
1923(大正12)年の関東大震災以後、広介は文筆生活を決意、その北方郷土性と、農家に生れたことに起因する重農主義と、宗教性を漂わせた童話を書き、小川未明とともに巖谷小波のお伽噺を近代的童話に昇華させた。
代表的な作品としては「花びらのたび」や、「むく鳥のゆめ」、「りゅうのめのなみだ」、「泣いた赤おに」などで、いずれにも人間を本質的に善意に満ちたものと考える広介の思想が現われている。広介は東北人らしいねばりと誠実な人がらで1000篇に及ぶ童話、数多くの童謡を残した近代日本における幼年童話の創始者であり、日本のアンデルセンと称されている。
1955(昭和30)年62歳で日本児童文芸家協会の初代理事長に推され、10年後1965(昭和40)年72歳で会長となった。
浜田広介は子ども心のみならず、大人の心にも訴える名作童話を発表していった。持前の詩人的な資質からそのメルヘン的な空想を、幼い子どもにも分かりやすく、しかもリズミカルな文章で美しくうたいあげた。よい事をすればよい事がありますよ、と言うような安易な報恩譚(ほうおんたん:恩返しの物語)とせず、思いやりややさしさ、いたわりや慈しみに焦点を当て、作品を書き続けた。
現実の人の世において、善玉と悪玉が明確であれば物事は簡単なのだが、善行の裏に打算的な下心があったり、悪事の裏に人をかばう気持ちがあったりするから、難しい。人は、信頼して接すれば善の反応が多く返り、疑って接すれば悪の反応が多く返る、ということか。
浜田広介のことば
「私は、鬼に生まれてきたが、鬼どものためになるなら、
できるだけ良いことばかりしてみたい。いや、そのうえに、
できることなら、人間たちの仲間になって、仲良く暮らしていきたいな」
「なにか、一つの、めぼしいことをやりとげるには、
きっとどこかで痛いおもいか損をしなくちゃならないさ。
だれかが、犠牲に、身がわりに、なるのでなくちゃできないさ」
「ああ、鳥になりたい」
浜田広介の本
泣いた赤おに (小学館文庫―新撰クラシックス)
りゅうの めの なみだ (いわさきちひろの絵本)
赤いろうそくと人魚 (少年少女日本文学館14)
ひろすけ童話絵本 むく鳥のゆめ
浜田広介童話集 (新潮文庫)
ひろすけ童話ひとすじに―日本のアンデルセン浜田広介の生涯 (PHP愛と希望のノンフィクション)
「児童文学」をつくった人たち〈5〉「ひろすけ童話」をつくった浜田広介―父 浜田広介の生涯 (ヒューマンブックス)