常識にもっと疑問を持つ

芹沢硑介

きょうは染色工芸家で民芸の巨匠 芹沢硑介(せりざわ けいすけ)の誕生日だ。
1895(明治28)年生誕〜1984(昭和59)年逝去(88歳)。

静岡市本通に呉服商の次男として生まれた。画家になることを夢みていたが、1916(大正5)年21歳で、東京高等工業学校(現 東京工業大学)工業図案科を卒業した。図案家として静岡工業試験場や大阪府立商工奨励館などに勤務し、図案指導に携わったり、数々の懸賞ポスターに入選するもなお歩むべき道を模索していた。

1927(昭和2)年32歳のとき、民芸運動創始者 柳宗悦の著作「工芸の道」に感動し、また翌年 沖縄の紅型(びんがた)の美しさに強い衝撃を受けて染色工芸家を志した。その後、憧れの柳宗悦に認められ、雑誌「工藝」の表紙を一年間受持ち、装幀の仕事の端緒となった。
1945(昭和20)年50歳のとき、戦災により工房や家財一式を失うが、この年から型染カレンダーを制作し始めた。従来の型染では、図案の作成、型彫り、糊置き、染め等の工程を、それぞれ専門の職人が分業するところ、芹沢は自らが一貫して、ぬかり無くそれらの諸工程を行うことで、独創的な芸術性高い作品を制作した。

戦後は、多摩造形芸術専門学校(現 多摩美術大学)の教授を務めた。1955(昭和30)年60歳のとき、有限会社 芹沢染紙研究所を開設。1957(昭和32)年62歳の時 鎌倉市津村の農家の離れを借りて独居の仕事場とした。海と山に近い津村小庵から布文字を始めとする多くの文様が生み出された。

彼の作品は、確かな描写力に裏付けられた模様、植物、動物、器物、人物、風景、文字など、目に映るものすべてが模様になったかと思われるほどのモチーフの豊かさ、明るく暖かな色調、明解な表現で、おおらかな作風だった。

彼の作品には、着物、帯、のれん、壁掛、屏風、夜具地、染絵などはもちろんのこと、その他に、本の装幀、ガラス絵、書、家具や建築設計にも優れた仕事を残し、デザイナーとしての活動は非常に幅広いものだった。その卓越した意匠感覚と伝統的な型絵の特質を融和させた創意溢れる創作活動を繰り広げた。

芹沢は、「型絵染(かたえぞめ)」という美の世界を確立し、「芹沢模様」と呼ばれ、近代の最もすぐれた模様作家としての評価を受けた。1956(昭和31)年61歳の時、「型絵染」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され名声を高めた。
なお、型絵染は、布に型紙をおく代わりに、紙において染めたもので、 芹沢が創作したもの。

その後は日本だけに留まらず、世界各地、特にヨーロッパで高い評価を受け、多くの美術展を開催した。1976(昭和51)年から翌年にかけてフランス政府から招聘されてパリの国立グランパレで大規模な個展「芹沢けい介展」を開催、大成功をおさめ、国際的な評価を得た。

芹沢硑介は、型染のバラバラの工程を一つにまとめ、ライン的な発想で、流れとして一貫化した。また、型絵染においても、作業を反対にする改善をしている。芸術的な才能に加え、改善のセンスにより、新しい世界を創作している。

企業においても、現在のやり方が本来あるべき姿なのかどうか、疑問に思うことが改善につながり、生産性や品質、安全性などの向上になる。自分の周りの常識にもっと疑問を持つようにしたい。


芹沢硑介の作品
     
   風呂敷「風」        津村小庵文帯地    四季曼荼羅二曲屏風


芹沢硑介の本(〓介は硑介)
  芹沢〓介型紙集 (民芸叢書)
  あのひと―芹沢〓介画集
  歩 (あゆむ) 芹沢銈介の創作と蒐集