薬品より大切なのは   

カロザース

きょうはアメリカの化学者でナイロンを発明した ウォーレス・ヒューム・カロザース(Wallace Hume Carothers)の誕生日だ。1896年生誕〜1937年逝去(41歳)。

アメリカ合衆国アイオワ州バーリントンで生まれた。1924年28歳の時、イリノイ大学から化学で博士号を取得し、1926年30歳でハーバード大学の講師に就任した。1928年、デュポン社に請われて新しく開設した基礎研究グループの研究員として入社した。

カロザースは持病として鬱(うつ)症状を抱えていたために、大勢の研究員のリーダーとして活動する事に不安を覚えていたが、大勢の学生の前で話をすることから解放されたいと思っていたのと、その破格の条件にひかれ入社を決意した。デュポン社からは研究テーマも自由でいいと言われ、純粋に科学的な研究を約束されていた。当時デュポン社は第一次世界大戦中、黒色火薬で大きな利益を出し総合化学メーカーとして余裕を持っていた。
デュポン社では、ドイツの化学者ヘルマン・シュタウディンガーによるポリマーの高分子説を実証するため、ポリマー合成を研究グループの研究テーマとした。
1930年4月17日33歳の時、実験段階ではあったがクロロプレンの重合による合成ゴムと、ポリエチレンのポリマー合成に成功した。1931年、合成ゴムの研究は史上初の商品「ネオプレン」として実を結んだ。
1934年38歳の時、アメリカ科学アカデミーの会員になった。

カロザースはこの時点で、次のテーマに移りたかったが、時代はアメリカ全土を大恐慌が襲っていたために、デュポン社も純粋な研究だけを許せるムードではなくなっていた。しかも、新しく就任した上司は実利派の研究者に代わっていて、カロザースの発見した合成繊維を商品化せよと推し進めはじめた。

そして引き続きポリマーの研究を続けた結果、1935年に世界初の合成繊維「66-ナイロン」の合成に成功した。そこでその実験はカロザースの手から取り上げられ、製品化への研究へと切り替えられた。

デュポン社入社当時から鬱病気味であったが、ポリマー合成成功の頃から強制的な実験生活が続き、精神状態が悪化した。当時ちょうど、信頼をしていた妹も病死した。彼は結婚することで精神的な拠り所を求めていたようだが、現在のように抗鬱剤などもない時代の事で、悪化は進むばかりだった。

カロザースは、新繊維の発明者としてデュポン社内でも持ち上げられたが、彼は純粋な化学者で、名声を得て喜ぶような性格ではなく、逆に製品発表などの公演をするのがもっとも苦手だった。この発明によって、有機化学の権威としてシカゴ大学の特別講師に招かれたりしたが、断ることもできない性格だったようだ。

そして、1937年4月29日、フィラデルフィアのホテルで、レモンの絞り汁に青酸カリ加えて飲み自殺をしてしまった。
「ナイロン」という二十世紀の偉大なる繊維が公式に発表されたのは彼の死の2年後のことであった。その発表の際、発明者カロザースの説明は一切なく、社内でもカロザースの名前はほとんど無かったことにされていたと言う。

カロザースは、頭脳は優秀でまじめな性格だったようだが、うつ病気味であり、結局それが原因で亡くなったとされていて、坑うつ剤があったなら、などと言われている。しかし、そのような薬品より大切なのは、仕事の与え方であり、良好な人間関係であったはずだ。

企業においては、現在、10人にひとりは「うつ病」もしくは「うつ病気味」であり、誰もが「うつ病」になる可能性を秘めて仕事をしているとも言われている。このような状況において大切なのは、明るい職場環境とやりがいのある仕事ができることだ。

★ナイロン製ストッキング★
ナイロンが発明されるまで、ストッキング(昔はフルファッションと言った)は絹製が主力だった。ナイロン商品化のメドが立った1938(昭和13)年に発表した時のキャッチフレーズは「石炭と水と空気から出来ていて、鉄のように強くクモの糸のように細い」だった。「ナイロン」の語源は「ノーラン(No Run:伝線しない)」だ。

日本では戦後、アメリカ文化が流入し始めると、モンペをスカートに履き替えた女性が進駐軍経由でナイロン製ストッキングを手に入れ始めた。そして1951(昭和26)年には東洋レーヨン(現 東レ)がナイロンの生産を始め、翌1952(昭和27)年には郡是製糸(現 グンゼ)がナイロン製ストッキングを発売した。

初期のナイロン製ストッキングは、今では信じられない話だが、絹製のものより高価だった。絹より丈夫なのでそれでも売れた。
当時のストッキングは後側に1本まっすぐに入った縫目(シーム)が一種のシンボルだった。戦時中で物資のない時代、女性の中にはストッキングを履いているように見せるために脚に絵の具でシームも描いたりする人もいた。まっすぐ描くより、少し曲げた方が本物っぽく見えるなどという話もあった。

ナイロン製の場合は、ここに縫目を入れる必要はないが、縫目がないと恥ずかしいという意見が強く、わざわざシームを作った。その常識に挑戦したのが厚木編織(現 アツギ)で、1961(昭和36)年、「ねえねえ君々履いてないのかい?わかってないのね、履いてるのよ」というCMを流して、シームレス・ストッキングのブームを創出した。
流行ってみるとシームレスの方が、シームをまっすぐに履く面倒がなくて楽なので、以後ストッキングは縫目が無いのが当たり前になった。 



カロザースに関する本
  ナイロンの発見
  化学の発明発見物語―酸素ガスからナイロンまで (発明発見物語全集 (6))