行動指針で禁止するぐらい   

山県有朋

きょうは第3、9代首相 山県有朋(やまがた ありとも)の誕生日だ。
1838(天保9)年生誕〜1922(大正11)年逝去(84歳)。

長州藩(現 山口県)の下級武士 仲間(ちゅうげん:足軽以下の最下層卒族)山県三郎有稔(さぶろうありとし)の長男として生まれた。岡部半蔵に宝蔵院流の槍術を学んだ。1858(安政5)年20歳の時 藩命で事情探索のため上京。京都で梅田雲浜(うめだ うんぴん)や梁川星巌(やながわ せいがん)と交わり尊皇攘夷に目覚めた。

帰郷後、久坂玄瑞の勧めで松下村塾に入塾し吉田松陰の薫陶を受けた。1863(文久3)年、長州藩は攘夷を決行、諸外国の船を砲撃したが、報復を受けた。
山県は高杉晋作が創設した奇兵隊の軍監として、英米仏蘭連合艦隊の下関砲撃に対し奇兵隊を指揮して防戦した。結局、下関戦争には負けたが、藩の正規兵より善戦した奇兵隊を見て、のちの国民皆兵論の素地を作ったといわれる。
幕府の征長令により俗論党が藩内を掌握。高杉晋作は俗論党政権を倒すべく功山寺(こうざんじ)で決起、最初は渋っていた山県も奇兵隊を率いて参加した。続く幕府との長州戦争では小倉口で奮戦。1867(慶応3)年29歳の時に上京して薩摩の西郷隆盛大久保利通と武力倒幕の方針を練った。

1868(慶応4)年に勃発した戊辰戦争では新政府軍の参謀を務め、越後・奥羽に出陣した北越戦争では家老 河井継之助に乗ぜられ、苦杯を舐めた。
維新成就後、1869(明治2)年に軍事視察のため西郷従道とともに渡欧し、翌年帰国。暗殺された兵部大輔 大村益次郎の衣鉢(いはつ:前人の事業)を継ぐ形で徴兵制の推進、軍人勅諭の起草など、近代軍制の基礎を築いた。西郷隆盛を説き、薩・長・土よりの献兵で「御親兵」を創設、また廃藩置県にも尽力した。

陸軍卿・参議・参謀本部長を務め、佐賀の乱西南戦争の征討参軍も務めた。また、元帥府設立に当っては、小松宮大山巌などと並んで初めての元帥に列せられた。1883(明治16)年45歳のとき、参議兼内務卿に転じ、町村制の確立に貢献し、しだいに活動の中心を内務行政に移した。陸軍、内務省に広範な勢力を擁して自由民権運動を弾圧した。

第一次伊藤・黒田内閣の内相に就き、民権運動を抑圧するとともに、中央集権的な地方制度の確立に努めた。
1889(明治22)年51歳で首相に就任した。丁度第一帝国議会の開催に当っていたため、彼は議会内の民党と激しく渡り合った。第二次伊藤内閣の司法相を経て、陸相、枢密院議長、日清戦争時の第1軍司令官などを歴任。1898(明治31)年60歳で再度首相に就任した。日露戦争では参謀総長を務めた。

「一介の武弁(軍務にたずさわる役人)」と言っていた山県だが、内務省、陸軍、そして枢密院、宮中にまで人脈を広げ、「山県閥」の政界への影響力はかなり浸透していた。これは派閥をつくることに恬淡(てんたん:無欲で執着しないこと)としていた伊藤博文と対蹠的(たいしょてき:反対であること)であり、山県はしばしば権力主義者と評価される。実際、首班推薦の元老会議で最も発言権を持っていたのは間違いなく山県であり、彼の差し金で倒壊した内閣も少なくはない。

以前より彼は大の政党嫌いとして有名であり、それはその後もほぼ一貫して変わらない彼の政治姿勢であった。その後に初の政党内閣である憲政党内閣が成立したときに、「明治政府の落城」と嘆息を禁じ得ず、また伊藤博文の政友会組織に対してもっとも強硬に反対したのが彼であった。

のちには政党と結びつかない政局運営は不可能であることをついに知った。寺内内閣総辞職の際、山県の持ちうる政界における手駒はどんどん少なくなっていた。一の子分 桂太郎が政党組織に踏み切り、寺内正毅も組閣の際に「なんでもかんでも閣下の言うことを聞くわけには参りません」として、山県の影響力を断った。日露戦争後、伊藤を韓国統監に追い、権力を強めるも、1921(大正10)年 宮中某重大事件で威信を失墜した。

一般に山県は用兵能力に関しては疑義を呈されており、その得意分野は軍政などの事務・監査的なものであったように思われる。陰険な人間として有名だが、誰にでも、たとえ相手が天皇であろうと公平ではあったようだ。
彼の趣味は多岐にわたり、前述の槍術の他、造園術は玄人はだしで、今も名園として残っているところもある。

山県有朋は、政党を嫌い、派閥によって権力を得たようだが、一般国民にとっては政党の方が理解しやすい。派閥は当然ながら公認ではないし、不明な点も多い。
企業においては、政党のようなものは無いが、派閥は存在することがままあり、これによる人事がまかり通っている会社も少なくないはずだ。

人間関係には、どうしても好き嫌いがあり、合う人と合わない人がいることも確かだが、派閥は行動指針で禁止するぐらいでないと、無くならないし、派閥の解消は経営者の責任でもある。
派閥を暗黙視している会社は、今後の世の中では存続できなくなる。


山県有朋の本
  山縣有朋関係文書〈1〉
  山県有朋 (PHP文庫)(コミック)
  山県有朋 (人物叢書)
  山県有朋――明治日本の象徴 (岩波新書)
  明治の怪 山県有朋
  軍人宰相列伝―山県有朋から鈴木貫太郎まで三代総理実記
  原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政 (中公新書)
  中江兆民と山県有朋―自由民権&絶対主義の設計
原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政 (中公新書)軍人宰相列伝―山県有朋から鈴木貫太郎まで三代総理実記山県有朋 (PHP文庫)山縣有朋関係文書〈1〉