殆どその恩恵を   

相良守峯

きょうはドイツ文学者でゲーテ研究の権威 相良守峯(さがら もりお)の誕生日だ。
1895(明治28)年生誕〜1989(昭和64)年逝去(94歳)。

山形県鶴岡市若葉町に相良守一の長男として生まれた。庄内中学校、第二高等学校から、1921(大正10)年、東京帝国大学独文科卒業。翌年、水戸高等学校の教諭、第一高等学校の教授を経て、1930(昭和5)年35歳のときドイツに留学した。

帰国後、1933(昭和8)年38歳のとき東京帝国大学助教授になった。1945(昭和20)50歳で文学博士。1947(昭和22)年52歳で東京大学教授。同年、日本独文学会を創設し理事長に就任し、以後10年間務めた。

1956(昭和31)年61歳で東京大学名誉教授。慶応大学教授、京都外語大教授を歴任。1958(昭和33)63歳のとき、戦争で中断していた日本ゲーテ協会を再建し会長に就任した。
良守峯はゲーテ研究の権威であり、ゲーテの「ファウスト」の現代語訳に森鴎外・阿部次郎についで取り組んだ。当時は十分なドイツ語辞書がなく「読書百遍、意おのずから通ず」を実行している。 ゲーテを中心とする古典主義時代の研究成果「ゲーテ事典」、文学史研究の集大成「ドイツ文学史」等を著し、また「ドイツ中世叙事詩研究」は 「ニーベルンゲンの歌」の翻訳とともに高く評価されている。

「木村・相良独和辞典」「大独和辞典」など独和・和独辞典の編集で著名である。ドイツ語を学ぶものは殆どその恩恵を受けている。 日本における中世ドイツ文学研究の基盤をつくった業績に加えて、すぐれた後進の人々を養成した功績は大きい。

良守峯はゲーテ研究の権威で、独和辞典はドイツ語を学んだ人は知らない間に使っているほど一般的だ。彼は大学で独文科を卒業しているが、いつの時点でドイツ語をめざそうと決意したのだろうか。また、戦争はどのような影響を与えたのだろうか。しかし、一生をひとつのことに打ち込んだ人の成果は大きいが、ヤリガイやイキガイも大きかったはずだ。

企業においても、仕事に対する思いは若い時に芽生え育ったものが、歳を重ねるにつれてだんだんと熟成されてくるようだ。若い時に、いかに大きな夢を持つかで人生が決まるとも言える。考えてみれば、早い時点で方向性と目標を定め、それに向かって早くスタートをした者が、より先に進めることも確かだ。


良守峯の本
  ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)(第二部)
  イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)(中)(下)
  グリム童話集〈1〉〜(3)
  大独和辞典
  茫々わが歳月
大独和辞典グリム童話集〈1〉イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)ファウスト〈第一部〉 (岩波文庫)