平和目的のみに   

岡部金治郎

きょうは電子工学者で分割陽極マグネトロンを発明した 岡部金治郎の誕生日だ。
1896(明治29)年生誕〜1984(昭和59)年逝去(88歳)。

名古屋で生まれた。名古屋高等工業学校紡績科を卒業したのち、1919(大正8)年、東北帝国大学理学部に進学し、その後、新設の工学部に移り、1922(大正11)年 電気工学科の第1回生として卒業した。

卒業後は同大学の講師となり、1925(大正14)年3月29歳で助教授に昇進した。1929(昭和4)年33歳のとき家庭の事情から、母校 名古屋高等工業学校教授に転じたが、1935(昭和10)年に大阪帝国大学理学部の創設に当たり、恩師 八木秀次教授の要請により大阪に移った。
1935(昭和10)年39歳で助教授、つづいて教授に就任した。1936(昭和11)年40歳のとき、「分割陽極マグネトロン」を発明した。その後、「大阪管」などを発明し、マイクロ波の応用化を進めた。

1939(昭和14)年43歳のとき、大阪帝大に付設産業科学研究所が開設され、その無線通信部門を担当した。1951(昭和26)年55歳から同研究所所長に就任し、1956(昭和31)年60歳で退官した。そのあと、1972(昭和47)年76歳まで近畿大学教授、工学部長を務めた。わが国電子工学の先駆者である。

岡部博士の発明したマイクロ波の技術が、戦争の時の情報戦略の探知装置として使用される一方で、一般家庭の電子レンジに使われているのは、救われるような感じだ。
どんな発見や発明であっても、それを利用するのは人間であり、やろうと思えばそれを平和目的のみに使用することもできるはずだ。要は人間の心が進歩しないと科学技術は使いこなせないということだ。

●マグネトロンと電子レンジ●
1925(大正14)年のある日、東北大学の学生の実験演習を担当していた岡部博士のもとに、1人の学生が奇妙な実験データを持ってきた。その学生が行っていたのは、磁電管(マグネトロン)と呼ばれる真空管の一種を用いた実験で、本来ならばゼロになるはずの電流が途中でまた増えるような振る舞いを見せていた。

岡部博士は、何かの間違いだろうと思い、「よく注意して実験を」というアドバイスとともに、再実験を指示した。ところが、2度目に提出されてきたレポートもまた、前回のものと大同小異のものであった。

そこで岡部博士みずから測定を行いその傾向を確認し、八木秀次博士との議論の過程で、非常に短い波長の電波が発生しているのではないかと推測した。実際に測定してみると、磁電管から波長が短く強力な電波が発生しており、これが「分割陽極マグネトロン」を発明するきっかけになった。当時、世界では多くの研究者が、波長が短く強力な電波の発生にしのぎをけずっていたが、岡部博士はこの発見で一躍トップに躍り出ることになった。
余談ながら、いろいろと尋ね回ってみても、今となっては、その問題レポートを提出した学生が誰であったか分からなかった。

現在、マグネトロンは一般家庭でも活躍している。電子レンジは食品に電波をあてて加熱するため、強力な電波を効率よく発生できるマグネトロンがもっぱら用いられている。家庭の台所の電子レンジの中には必ず岡部博士の発明した分割陽極マグネトロンが入っている。

★レーダー開発★・・・1月28日八木秀治 参照
岡部博士は、発明した分割陽極マグネトロンを利用した航空機探知装置(レーダー)の研究提案を海軍にしたが採択されなかった。その頃レーダーは「暗夜に提灯をつけるようなもの」として、研究テーマから外され、暗視装置の研究開発に傾注されるようになっていた。
こうして日本海軍のレーダー開発は遅れることになるが、地上装備用レーダーは1941(昭和16)年に実験に成功している。
 
一方、欧州では第二次世界大戦の直前、独の戦艦が9隻の英国商船を撃沈し、その結果3隻の英巡洋艦に追跡されて砲戦となり、被害を受けて自沈した。このとき、常にマスト上に取り付けられていたアンテナのカバーが外された。これはまさしくレーダーのアンテナであった。すでに独がレーダーの開発を終わり、列国に先駆けて装備化していたことに各国は衝撃を受けた。このレーダーは射撃指揮用で、世界最初のセンチ波レーダーであった。
 
独は、1940年に艦載用射撃指揮装置と地上設置用射撃指揮装置を完成した。これに相当する米国の機種は陸軍のもので1939年から配備された。1941年12月7日の太平洋戦争開戦時、真珠湾への連合艦隊攻撃機の接近を米国は探知していたが、停泊艦船には通報されなかった。英は1936年から本格的な艦載用射撃指揮装置の開発に着手し、1942年には航空機搭載用レーダを装備している。

  
   発明当時に試作された分割陽極マグネトロン

  
岡部金治郎の本
  人間は死んだらこうなるだろう
  死後の世界
  情報敗戦―太平洋戦史に見る組織と情報戦略
情報敗戦―太平洋戦史に見る組織と情報戦略