何かと言えば三人   

福永武彦

きょうは小説家であり詩人の 福永武彦ペンネーム:加田伶太郎)の誕生日だ。
1918(大正7)年生誕〜1979(昭和54)年逝去(61歳)。

福岡県筑紫郡二日市町に父 末次郎、母 トヨの第一子長男として生まれた。父は三井銀行福岡支店に勤務、母は日本聖公会の伝道師であった。1925(大正14)年7歳の時、弟 文彦が生まれるが、母は亡くなった。

父の転勤により、小学校半ばで東京に移り、東京開成中学、第一高等学校を経て、1941(昭和16)年、東大文学部仏文科を卒業。在学中から、誌や小説、俳句を発表した。また堀辰雄高村光太郎の知遇を得てその影響を受けた。
1942(昭和17)年24歳の時、参謀本部に勤め暗号解読に従事した。同年秋には、加藤周一中村真一郎、窪田啓作、白井健三郎らと「マチネ・ポエティック」を結成、詩作をはじめた。10月、弟 文彦が亡くなり、12月、召集をうけるが盲腸炎手術後のため、即日帰郷した。

1944(昭和18)25歳のとき、日本放送協会に勤務、4月、山下澄(詩人 原條あき子)と結婚(1950年離婚)。
1945(昭和20)年2月、急性肋膜炎で東大病院に入院した。4月、北海道帯広市疎開。7月、長男・夏樹誕生(1988年「スティル・ライフ」で芥川賞を受賞した池澤夏樹)。

戦後は、肋膜炎や結核のため長い療養所生活に耐えて、学習院大学フランス語教授をつとめ、そのかたわら、「短篇集「塔」、長篇「風土」「草の花」「海市」などの知的な作風の名作を刊行した。加田伶太郎ペンネームによる探偵小説もある。

大作「死の島」で日本文学大賞を受賞した。また「ボードレールの世界」「ゴーギャンの世界」「彼方の美」「書物の心」などの評論・随想集、さらに「福永武彦詩集」「夢百首・雑百首」、「ボードレール全集」の翻訳・編集など、広汎な執筆活動を続けた。また草花写生帖「玩草亭 百花譜」がある。

1979(昭和54)年避暑先で胃から大出血。医師でもある加藤周一の判断で佐久総合病院に強制的に入院させられ、胃の切除手術は成功したが、脳出血を併発し亡くなった。「何かと言えば三人束にされて」と照れつつ嘆いた10代からの親友、中村真一郎加藤周一が結局末期の日々をつきあった。
福永は1977(昭和52)年59歳の時に世田谷区松原の単立キリスト教朝顔教会井出定治牧師により病床でキリスト教の洗礼を受けていた。入信を知らされていなかった友人たちの間ではキリスト教式の葬儀が物議をかもした。

福永は幼くして母を亡くし、またその時生まれた弟も24歳の時に亡くしている。自身も病気がちで療養生活も長く、その間に離婚もしている。そのような環境の中で、暗く重い作品が多いのはしかたがないが、救いは十代の頃から中村真一郎加藤周一という親友がいたことだ。

人生は人とのめぐりあいで大きく違ってくるが、特に学友など若い時からの親友は、何ものにも変え難い宝で、大切に付き合っていきたい。


福永武彦のことば
  「未来は偶然ではない。未来は或る程度まで現在を生きる時の勇気と、
   事に当たっての正しい選択とによって決定される」
  「人は孤独のうちに生まれて来る。恐らくは孤独のうちに死ぬだろう」


福永武彦の映画
  廃市 デラックス版 [DVD]
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福永武彦の本
  福永武彦全集 (第16巻) 随筆・評論3
  忘却の河 (新潮文庫)
  草の花 (新潮文庫)
  現代語訳 古事記 (河出文庫)
  福永武彦 (ちくま日本文学全集)
  福永武彦・魂の音楽
福永武彦・魂の音楽福永武彦 (ちくま日本文学全集)現代語訳 古事記 (河出文庫)