見て楽しくなるように   

ルノアール

きょうはフランスの画家、色彩の魔術師 ルノアールPierre-Auguste Renoir)の誕生日だ。
1841年生誕〜1919年逝去(78歳)。

フランス リモージェの貧しい仕立て屋の子として生まれる。少年時代から絵の才能を発揮していたが、経済的な理由から学校へは行けなかった。13歳のころパリで陶器の絵付け師の弟子となって働き、夜間にデッサン学校に通った。17歳で失業したが絵の摸写などで金を貯め、1862年21歳のとき国立美術学校に入学し、シャルル・グレールの門下となった。

そのアトリエでバジール、モネ、シスレーらと出会い、彼らと交流して印象派の運動に加わった。
1871年30歳のとき普仏(独仏)戦争が勃発し徴兵された。1974年33歳のとき、印象派第一回展に発表。外光に敏感な色面分割(色分けによる画面の分割)と筆触並列(筆のタッチを同じように並べて描く)を特徴とした。1881年40歳の時、イタリア旅行をし、ルネサンス絵画やローマ美術に影響を受け、印象派から情感にあふれて色彩豊かな「虹色の時代」へ移った。

1890年49歳の頃、元の画風に戻った。同年、アリーヌ・シャリゴと結婚。すでに息子があり、さらに2人の息子をもうけた。南フランスのカーニュに住み着いて、その頃から裸婦や花など甘美な色彩をもって描くようになった。印象派のもつ温かさと古典主義の持つ気高さを融合させ、独自の色彩を用い、特に裸婦の美しさを描いた数多くの名作を残した。1903年62歳のときには、彫刻も手がけた。ここでも絵画とまったく共通の豊満な量感を創り出した。

1912年71歳の頃、リュウマチで身体の自由を失うが、絵画のなかでは円熟した色彩の豊潤さは失わなかった。筆を持てないため、手に布をまいて筆をくくりつけて描いていたという。筆先にほんの少しの絵の具を付け、カンバスのそこかしこに薄く塗り、同様にいろいろの色を塗り重ねて、しだいに透明感のある画面を仕上げていったようだ。

ルノアールは、一生をかけて光の描き方を工夫しつづけた画家だ。光の当たり方に応じて、色をさまざまに変化させた、明るく柔らかい色彩の作品が多く、「色彩の魔術師」と呼ばれている。彼は、今最も多くの人に好かれている画家の一人であると言えるだろう。

ルノアールは人がその絵を見て楽しくなるように考えて描いたようだが、それが今もって多くの人に好まれている大きな要因だろう。
会社の仕事においても、自分が楽しんでやるのは良い事だが、相手が気持ちよく受け入れられるものでなくてはいけない。社員全員がそのような考え方になると、お客様の満足度が向上することになり、業績の向上につながる。


ルノアールのことば
  「絵は、好ましく楽しく、きれいなものでなければならない 」
  「芸術が愛らしいものであって何故いけないんだ。
    世の中は不愉快なことばかりじゃないか」

ルノアールの本
  ピエール=オーギュスト・ルノワール (タッシェン・ポストカードシリーズ)
  わが父ルノワール


   
  桟敷席         三人の欲女         読書する二人の少女