無数の礎石を築いた   

澁澤榮一

きょうは明治・大正の指導的大実業家 渋沢栄一の誕生日だ。
1840年生誕〜1931年逝去(91歳)。

富農・渋沢一郎左衛門の長男として武蔵国榛沢郡(現 埼玉県深谷市)に生まれる。父の藍(あい)玉製造を手伝うかたわら、従兄の尾高惇忠(あつただ)から漢学を学び、四書五経の「論語」を一生の規範として身に付けた。また江戸に出て海保漁村(かいほ ぎょそん)に儒学を、千葉栄次郎に剣術を学んだ。

彼の成長期は、幕末の風雲が日本全土を襲っていた。多感な渋沢は1863年23歳の時、政治に関心を持ち、従兄らと尊王攘夷思想に共鳴し、高崎城の乗っ取りや横浜の外人居住区の焼き打ちを企てたが、同志の勧告で中止し京都に逃れた。

翌年、一転して一橋慶喜に出仕し慶喜が第15代将軍になると幕臣となり、1867年27歳のとき、パリ万国博覧会に出席する慶喜の弟 徳川昭武の随員としてフランスに行き、近代的な科学技術や経済制度を見聞し、先進国への視野を広げた。このときの知識が帰国後、新政府に登用される契機となっている。

1868(明治元)年、大政奉還・王政復古・鳥羽伏見の敗報に接し帰国。徳川昭武水戸藩主となり、渋沢は慶喜が謹慎していた静岡に移住した。1869(明治2)年29歳で、明治新政府に登用され、パリで学んだ知識を生かして新貨条例・国立銀行条例など諸制度改革を行い、日本に初めて合本組織(株式会社)を導入した。

1873(明治6)年33歳の時、上司の大蔵大輔・井上馨とともに財政改革を建議したが主張がいれられず共に官を辞した。
民間経済界に入った後は、「論語」を徳育の規範とし「道徳経済合一説」を唱え、清廉潔白な経済人としての姿勢を貫き、一部企業が利益を独占するのを嫌った。

第一国立銀行を足掛かりに、王子製紙・大阪紡績・東京瓦斯など約500社の設立や商業会議所・銀行集会所などの経済界の組織作りに関与し、日本資本主義の発達に大いなる貢献をした。
また、社会・文化・教育の幅広い分野で社会公共事業に尽力し、関わった社会事業は600に上ると言われている。

彼は多くの企業の創立や経営に関与したが、必ずしも財を築くことや、起業すること自体に強い関心を持っていたわけではなかった。先進諸外国の圧迫のもとにあった途上国日本にとって、自国の近代産業を育て発達させることこそが最大の急務と考え、その実現に実力を傾けたのだった。

1893(明治26)年、旧主・慶喜の伝記編纂を思い立ち、翌年から制作を開始し、1918(大正7)年に「徳川慶喜公伝」として刊行した。これは慶喜の個人的伝記を越え、今日でも旧幕府側の史料を用いた幕末維新史研究として異彩を放っている。

1916(大正5)年76歳で実業界から引退するが、その後も社会公共事業や国際親善に力を注いだ。
国際関係では民間経済外交を積極的に展開したが、1931(昭和6)年91歳で生涯を終えた後1週間もたたぬうち、政府は日本軍の満州における軍事行動を追認(満州事変)し世界戦争に突入した。これにより渋沢の願った世界平和も経済発展による豊かさも吹き飛んでしまった。

まさに近代日本の無数の礎石を築いたのだった。明治時代には大物が二人いるといわれている。官界では西園寺公望、経済界ではこの渋沢栄一である。
また、ピーター・F・ドラッカー博士は言う。明治の日本には、三人の重要な人物がいた。実務家 福沢諭吉、倫理家 渋沢栄一、そして起業家 岩崎弥太郎である。彼らは個人としては、まったく異なっていたが、同じ目標と未来像を描き、勇気と先見性と手腕をもって近代国家・日本を創った。

日本の企業経営者のみならず一般社員であっても、渋沢は忘れられない偉大な人物である。経営上の問題や、業務上の問題、これからさらに一歩踏み出そうとするときなど、渋沢の考え方や生き方を再認識することで、啓発され元気が出ること請け合いである。


渋沢栄一のことば
  「“商人”はいるけれど “実業家”はいない 」
  「その事業が個人を利するだけなら、決して正しい商売とはいえない」
  「有望な仕事があるが資本がなくて困ると愚痴をこぼすような人は、
    よしんば資本があっても大いに為す人物ではない」
  「交際の奥の手は至誠である」
  「限りある資産を頼りにするよりも、
    限りない資本を活用する心掛けが肝要である。それは信用である」  


渋沢栄一の本
  論語講義 (1) (講談社学術文庫 (186))〜(7)
  孔子―人間、どこまで大きくなれるか (知的生きかた文庫)
  渋沢栄一「論語」の読み方
  徳川慶喜公伝 (1) (東洋文庫 (88))〜(4)
  小説 渋沢栄一 曖々(あいあい)たり
  渋沢栄一―民間経済外交の創始者 (中公新書)
  激流―渋沢栄一の若き日 (徳間文庫)
小説 渋沢栄一 曖々(あいあい)たり渋沢栄一「論語」の読み方孔子―人間、どこまで大きくなれるか (知的生きかた文庫)論語講義 (1) (講談社学術文庫 (186))