夢あふれる時代   

ジュール・ヴェルヌ

きょうはフランスのSF作家 ジュール・ヴェルヌの誕生日だ。1828年生誕〜1905年逝去(77歳)。
フランスの古い港町ナントに生まれた。幼い頃から海や冒険、科学への強い関心を持っていた。6歳の時、航海中行方不明になった船長の未亡人サンバン夫人に教育を受け、彼女の話は、ヴェルヌの頭に刻み込まれた。
長男である自分は家業の法律家を継ぐため、将来大海原へは出られないと思っていたヴェルヌは、夏休みのある朝、西インド諸島へ向かう帆船に乗り込んで密航を図った。しかし海事法に詳しい父に連れ戻され、杖で打たれ、パンと水しか与えられなかった。しかも母はヴェルヌに「これからは、もう空想の中でしか旅はしません」と約束させられた。この事件がヴェルヌにとって一生離れないトラウマとなったようだ。
厳格な父は長男のヴェルヌに家業を継がせるべく法律を学ばせるが、ヴェルヌはヴィクトル・ユゴーアレクサンドル・デュマを読みふけり劇詩や戯曲を書くことに興味を持っていた。法律家の道へ進むべくパリに出た彼は、20歳のとき、文学サロンでデュマ本人と出逢い、劇場に入り浸るようになった。
法律の最終試験に合格し、弁護士資格を取得するが、ヴェルヌは「私に適した唯一の道は、今歩いている道、文学しかない」と書き送り、弁護士への道は断たれた。
やがて文学で身を立てようと決心し、始めは戯曲に取り組んだ。ヴェルヌが執筆した戯曲の芝居はまずまずの好評を博したが、それらの興行から得られる収入はとても少なく、法学の家庭教師や法律事務所でアルバイトをしながら生活した。また、科学上の発明・発見に興味を持ち、国立図書館へ通いつめた。そしてヴェルヌの創作意欲は演劇から次第に小説へと移っていった。
初めて出版された彼の小説は、1851年23歳のとき、雑誌に掲載された「メキシコ海軍の最初の船」と「風船旅行」だった。熱心なヴェルヌは執筆のため、地形や生態系、科学など様々な資料をもとに事実を確認した上で作品を発表していった。
1862年34歳の時、巨大な気球“巨人号”に触発されて出来上がった冒険小説「気球に乗って五週間」が出版人ジュール・エッツェルに認めれられた。当時エッツェルは児童図書の出版に乗り出し、子供や若者を対象にした雑誌を計画していたところで、幅広い読者が楽しめる新しい才能を探し求めていたのだった。翌年、刊行された「気球に乗って五週間」は大ベストセラーとなり、ヴェルヌは一躍人気作家の仲間入りをした。
その後、ヴェルヌの作品は驚異の旅シリーズと銘打たれた豪華な挿絵本としてエッツェル社から出版され、出版契約はエッツェルの死まで継続された。
彼は未知の国へ旅立つ冒険旅行をテーマにした作品を人生最後の時まで創作し続け、生涯に発表したSFファンタジー小説は80作品を超えている。
彼はイギリスのH・G・ウェルズと並び称され、「SFファンタジーの父」と呼ばれている。ヴェルヌは裕福な中産階級の出身であり、活躍した年代は、まさに科学の発達に夢を感じるような前途に夢あふれる時代だった。
その独創性に富んだ物語は新鮮さを失わず、現在に至っても文学のみならず、映画、芸術に大きな影響を与え続けている。
人との出逢いが人生を決めてしまうとはよくいったもので、ヴェルヌの場合も例外ではなかったようだ。サンバン夫人の話でめばえ、サンドル・デュマとの出逢いで方向付けされ、ジュール・エッツェルとの出逢いで確定的となっている。
企業の場合も、入社当時はなかなか実績が出せないものだが、いろんな人と関わる中で、まじめに業務に励み、自己啓発を続け、人の話を素直に聞く習慣をつければ、必ずそれは報われるはずだ。あせらず、着実に、継続することだ。



ジュール・ヴェルヌの本
  八十日間世界一周 (岩波文庫)
  海底二万里 (創元SF文庫)
  十五少年漂流記 (新潮文庫)
  ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社
  未来予測の幻想―ジュール・ヴェルヌからビル・ゲイツまで
未来予測の幻想―ジュール・ヴェルヌからビル・ゲイツまでジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社海底二万里 (創元SF文庫)八十日間世界一周 (岩波文庫)