闇雲に考えないで   

西堀栄三郎

きょうは探検家、第一次南極越冬隊長 西堀栄三郎の誕生日だ。1903年生誕〜1989年逝去(86歳)。
京都府に生まれた。京都大学理学部卒業後、京都大学理学部講師、助教授を経て、1936年33歳の時、民間企業(東芝)に移った。そこで真空管を発明し天才技術者と言われた。
1949年46歳で東芝を退社し、統計的品質管理手法(SQC)を日本の産業界に持ち込み、その普及に努めた。これが後のQCサークル活動として日本中の企業で取り入れられることになる。デミング賞も受賞している。
今西錦司桑原武夫ら京都グループの主要メンバーの一人である。
1956年53歳で京大の教授となり、翌年の1957年2月15日から翌年2月24日のまる一年をかけて行われた「第一次南極越冬隊」の隊長を務めた。
彼は、日本山岳協会会長も務め、日本隊が世界で初めて臨む「マナスル登山」の際、ネパール政府との交渉役も務めた。また1973(昭和48)年 京都大学学士山岳会の「ヤルン・カン遠征隊」隊長、1980(昭和55)年「チョモランマ登山隊」総隊長を努めた。
「雪山賛歌(♪雪よ、岩よ、我らが宿り〜)」の作詞者でもあり、登山家・探検家のカリスマ的存在である。
その後、日本原子力研究所および日本原子力船開発事業団の理事を務めた。
その他、日本規格協会顧問、日本生産性本部理事、日本工業振興協会会長などを歴任した。
南極横断を生涯の夢とした植村直己に、極地での単独行に必須である六分儀等の天測装置とその使用法を教えたことから、植村の有力な支持者の一人となっている。
主な著書に「品質管理実践法」「南極越冬記」「西堀流新製品開発」「品質管理心得帳」「想像力」「五分の虫にも一寸の魂」などがある。
いろんな方面での偉業が多すぎて、ひとことでは語り尽くせない「ダ・ビンチ」的な天才だ。そのすべてにおいて、「まず やってみる」を実践し、またそれを楽しんでいるようでもある。
改善をする場合でも、「まず やってみる」精神は非常に重要である。これを実行する時は闇雲に考えないでやるかと言えば、このようなやり方の方がよく考えてやるものだ。
もしダメだったら、どうしてダメだったかわかるので、それを改善すればよい。


西堀栄三郎のことば
  「忍術でもいいから、いいアイデアを出してくれ」
  「石橋は叩いたら渡れない」
  「『育てる』ということは、”成功”の味をしめさせ、”失敗”に学ばせることだ。
    育てる心を支えるものは、『君子危うきに近寄らず』ではなく、
      『虎穴に入らずんば虎児を得ず』の哲学なのだ」
  「常に沈着冷静でいられる方法は、
    『思いもよらない事が必ず起こるぞ』ということを、覚悟していることだ。
      『準備というのは、必ず不完全なものなり』と思っていることだ」
  「とにかくやってみなはれ、
    やる前から駄目だと諦める奴は、一番つまらん人間だ」
  「部下がなにかを提案した時には、
    必ず“それは良いアイデアだ”とほめてから意見を言いなさい。
     部下はきっと喜び(笑顔で)、次はさらに良い提案を持ってきますよ」


西堀栄三郎の本
  南極越冬記 (岩波新書 青版)
  石橋を叩けば渡れない
  創造力―自然と技術の視点から
  百の論より一つの証拠―現場研究術
  西堀流新製品開発―忍術でもええで
西堀流新製品開発―忍術でもええで創造力―自然と技術の視点から石橋を叩けば渡れない


 
 

 
  

 マナスル峰 8163m

 南極 昭和基地とオーロラ