現状の枠内から   

ミルン

きょうはイギリスの作家 アラン・アレキサンダー・ミルンの誕生日だ。1882年生誕〜1956年逝去(74歳)。
ロンドン西北部ギルバーンで、私立の男子校の校長J・V・ミルンの3人兄弟の末っ子として生まれた。科学に対する信仰のあつかった父は教育熱心で、また自然の中で遊ぶことを子供たちに教え、ミルンは幼少期より創造性豊かな文才を垣間見せていたようだ。そして父親が校長をする学校で教育を受けている。彼の初期の学習は若い教師と精神的にH・G・ウェルズに多くを負い、ミルンはウェルズを「偉大な作家および親友」と評している。
彼はパブリック・スクールからケンブリッジ大学に入学し数学を学ぶが、兄と合作で書いていた詩に興味を持ち、大学の雑誌「グランタ」に投稿したのがきっかけで同誌の編集者となり、漫画週刊誌「パンチ」にも作品が載るようになった。
引き換えに数学で優等の学位をとるのは不可能になり、父をいたく失望させた。父は教育者になることを勧めたが、ミルンは父の反対を押し切りロンドンに出て、作家として独立した。この頃、彼は自分の将来を模索するようになった。
1906年、彼が24歳のとき第一次世界大戦が発生した。
1913年ドロシー・ダフネと結婚した。
ミルンは軍隊に入り、通信将校となった。軍隊にいる時、兵営の娯楽用に昔話風の劇を書き、この劇に妻のダフネが出演し評判になった。これを書き直して「ユーラリア国騒動記」という滑稽な長編物語に仕立て出版した。
1920年に息子のクリストファー・ロビンが誕生した。
大戦終結後、病気になって帰国したミルンは、一人息子クリストファー・ロビンに触発され、この頃から児童文学に手を染め始めた。そして、子供向け雑誌に「やまねとお医者」というユーモラスな詩を書き、それを見た人に子どもの詩の単行本を出したらどうか、と勧められ、息子の生活を観察したことや、自分の幼年時代の忘れがたい思い出をもとにして詩を書いた。挿絵をつけて出版された詩集が「クリストファー・ロビンのうた」であり、瞬く間にベストセラーとなった。
また1922年には、探偵小説「赤い家の秘密」を書いている。
1925年43歳で別荘を買い、翌年その周辺の田園を舞台に息子をモデルにした子どもと、子供部屋にあるぬいぐるみの動物たちが繰り広げる愉快な冒険を描いた話「クマのプーさん」を出版し大成功した。
ついで続編「プー横丁にたった家」や詩集「クマのプーさんとぼく」も大成功し、ミルンの全盛期を迎え、作品はたちまち児童文学の古典となった。
だが、その後 目新しいヒット作もなく、1939年に書いた最後の劇も失敗で、もはや彼の創作力は世の中に合わなくなっていった。
児童文学家ということで、読者に迎合した作家と見られがちだが、著者は読者に望まれた「プーさん」の続編を決して書くことがなかったようだ。
ひとつヒット作が出るとそれに固執して、なかなか新しいことには手が出ないものだが、ミルンはプーさんシリーズであっても類似内容は避けているし、新しい分野にも手を出している。
企業においても、新製品とか新規分野は、現状の枠内からなかなか離れられないものだが、お客様の視点に立って考えることが重要である。社内の改革も同様に、人を切ったり現状をいじるだけでは、本来のリストラはできない。

ミルンの映画
  くまのプーさん ルーの楽しい春の日 [DVD]
  ティガー・ムービー/プーさんの贈り物 [DVD]
  くまのプーさん「クリストファー・ロビンを探せ!」 [DVD]
くまのプーさん「クリストファー・ロビンを探せ!」 [DVD]ティガー・ムービー/プーさんの贈り物 [DVD]くまのプーさん ルーの楽しい春の日 [DVD]







ミルンの本
  赤い館の秘密 (創元推理文庫 (116-1))
  クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))
  プー横丁にたった家 (岩波少年文庫(009))
  ミルン自伝 今からでは遅すぎる
  A.A.ミルン (現代英米児童文学評伝叢書)
ミルン自伝 今からでは遅すぎるプー横丁にたった家 (岩波少年文庫(009))クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))赤い館の秘密 (創元推理文庫 (116-1))