心から楽しい気持ちで   

モリエール

きょうは17世紀のフランスの喜劇作家 モリエール(本名:ジャン・バプティスト・ポクリン)の誕生日だ。1622年生誕〜1673年逝去(51歳)
フランス パリの裕福な市民階級に生まれ、当時の市民階級で受け得る最高の教育を受けた。彼は父の反対を押し切り俳優の道を目指し、1643年 女優マドレーヌ・ベジャールとともに劇団「盛名劇団」を結成することになるが、この劇団はまもなく解散する。
その後旅回りの一座に加わって、13年間南仏を中心とした地方巡業をしながら、戯曲作家としての腕を磨いた。
1658年36歳の時パリに帰還し、国王ルイ14世の御前で上演した「恋する博士」が絶賛を受け、一座はオルレアン公フィリップの後援を受けるようになった。さらに1659年「才女気取り」の成功で名声を不動のものにした。
1662年40歳のとき、マドレーヌの妹とも娘ともいわれる19歳のアルマンドベジャールと結婚した。1673年上演中の舞台で倒れ、その夜他界した。
彼の作品は、当時の貴族や医者や聖職者の気どり、知識人ぶり、偽善などを批判的にからかい、時代を超えて人間がもつ弱点を見事に描いた。イタリアのコメディア・デラルテやフランス中世の笑劇(ファルス)の手法を踏み台にしつつも、「性格喜劇」と称される独自のジャンルを築きあげ、喜劇の地位を高くした。
彼はコルネイユラシーヌとならんで三大古典劇作家と称されている。
モリエールの喜劇でのせりふは、芝居のせりふであって、全てがオーバーに表現され、大げさな調子である。登場人物たちは非常に雄弁で、あらゆる修飾語を駆使して、簡単に言えるようなことでも、多くの単語を使って表現する。そうやって観客の注意を大いに引きつけようとしている。
モリエールの喜劇の伝統を、実は日本の吉本新喜劇が受け継いでいると言われている。モリエールの抱腹絶倒はまさに吉本の笑いそのものだし、吉本に出てくる結婚をめぐる親子の対立や、離れていた親子の対面などのストーリーはモリエールのものとそっくりである。
人を笑わせ喜ばせることは、非常に難しいと言われている。単に第三者を批判したりシモネタだけでは苦笑されるのが落ちである。やはり相手の気持ちを理解し、自分自身も心から楽しい気持ちで演じないとかなうものではない。
企業においても、最近お客様の満足度が話題になっているが、うわべだけいくら繕っても、お客様、消費者を喜ばせることはできない。企業で働く全社員が、お客様の満足を考えて、生産・サービスにのぞまなくてはいけない。


モリエールのことば
  「愛はしばしば結婚の果実である」
  「人は無我夢中に急いで結婚するから一生悔いることになる」


モリエールの本
  人間ぎらい (新潮文庫)
  ドン・ジュアン (岩波文庫)
  タルチュフ (岩波文庫 赤 512-2)
  モリエール全集〈1〉〜(10)
  モリエールと“状況のなかの演劇”
  わが名はモリエール
わが名はモリエールモリエールと“状況のなかの演劇”モリエール全集〈1〉