最大の反発であった   

ボーヴォワール

きょうはフランスの女流小説家であり思想家 シモーヌ・ド・ボーヴォワールの誕生日だ。
1908年生誕〜1986年逝去(78歳)。
パリのブルジョア家庭に生まれたが、カトリック的モラルに反発し、ソルボンヌ大学で哲学と文学を学び、1931年から12年間高等中学校(リセ)で教鞭をとった。
1929年21歳のとき、生涯を通じて公私ともに影響を与えることになる「自分より完全な自分と同じような人間」サルトルと知り合った。
その年のアグレガシオン(1級教員資格)に二人とも合格し、その後、50年間既成道徳にしばられないパートナーシップ、いわゆる「契約結婚」を結び、サルトル実存主義に加担するとともに、エネルギッシュな活動を続けた。
1943年35歳で、小説「招かれた女」を発表し作家生活に入った。1949年41歳の時、実存主義の観点に立つ画期的な女性論「第二の性」を出版し世界的な反響を呼んだ。二十世紀後半の女性解放運動では指導的役割を果たし、現在の世界的な女性運動の潮流を生み出した。
彼女は「結婚は二人が望めば自由に解消され、母となるのもまた自由である。結婚しているかどうかにかかわらず、どのような母子にも平等な権利が与えられる」そんな社会が到来することを50年以上も前に予測していた。
そして、女は子供の時から受動的に男の犠牲となる宿命を負わされ「自分自身の過去も、歴史も、信仰も」持っていない、と言い。男がもっとも恐れるのは女が彼らの偶像であることを止め、彼らと同じ人間に成ることである、と言った。
また「女は女に生まれるのではない、女に成るのだ」と女性らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを主張した。
政治的な問題や老人問題をテーマにした活動や著書もあり、それは、一連の自伝において、時代の諸局面に立ち会いながら、同調主義や伝統や社会通念と闘い、望んだ人生を着実に実現していった自己の足跡を記している。
ボーヴォワールサルトル契約結婚をし、いつでも解約できる状態にありながらお互いを尊重し合い、終生なくてはならない存在として連れ添っている。
彼女の言動からは独身主義の女性運動家のように思えるが、結婚でもない独身でもないところが、当時の状況での最大の反発であったのかもしれない。
会社と社員の関係は、まさに契約であるが、会社は社員を尊重し仕事とやりがいと報酬を提供し、社員は会社の求める目標を達成する努力を怠ってはいけない。ここでもお互いに信頼し合うことが重要ポイントになる。


ボーヴォワールのことば
  「女性解放運動が一定の成果をあげたとしても、それが永遠に続くと
    思ってはいけない。経済危機に陥れば女性の権利は再び奪われる」
  「立派な紳士方の住んでいる健康で輝かしい宮殿のために
    下水溝の役をつとめるのは、娼婦ばかりでなく女全体である」
  「目を奪うほど美しいものがいつも善いとはかぎらない。
    しかし、善いものはいつでも美しい」
  「体に対する自信を失うことは、自分自身に対する自信を失うことである」
  「善はただ一つしかない。それは自分の良心に従って行動することである」
  「私にとって恐ろしいことは、たった一つしかない。
    それはサルトルが死ぬことなのだ」


ボーヴォワールの映画
  他人の血 [VHS]


ボーヴォワールの本
  決定版 第二の性〈1〉事実と神話決定版 第二の性〈1〉事実と神話
  決定版 第二の性〈2〉体験(上) (新潮文庫)(下)
  招かれた女 (角川文庫 (5801))
  他人の血 (新潮文庫 ホ 4-4)
  ボーヴォワール―女性知識人の誕生ボーヴォワール―女性知識人の誕生
  晩年のボーヴォワール晩年のボーヴォワール