巨大タンカーのように   

オナシス

きょうはギリシャの実業家で二十世紀最大の海運王 オナシス,アリストテレス・ソクラテスの誕生日らしい。1906年生誕(実際は1900年とも言われている)〜1976年逝去(70歳)。
オスマン・トルコ帝国時代のスミルナ(現トルコ領イズミール )で生まれ、第一次世界大戦後の紛争の中オナシス家は財産を失いアルゼンチンに渡り帰化、オナシスは6ヶ国語を自由に駆使して、皿洗いなどさまざまな商売を手がけた。そしてタバコの販売で大きな収入を得た。
それを元手に1931年25歳で始めた海運業が当たって財をなし、そこでアラブの石油販売会社との契約が取れたことからタンカー事業で巨万の富を得た。
所有する船舶の総トン数は600万トン以上で、身辺にまつわる話にはすべて「世界一」の表現がついていた。オナシスは2回目の結婚として、世紀の名ソプラノ、マリア・カラスと再婚したが、その後離婚した。また女優のグレダガルボジーナ・ロロブリジーダなど数多くの女性と浮名を流し、1968年には名声を求めてアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの未亡人ジャクリーンと結婚した。
彼は結婚の承諾を得るために多額の金銭を使って決断を迫った。彼の息子は「父は名声を、ジャクリーンは富を愛した」と公言している。二人は愛のない生活を、物で満たそうとしたようだ。
しかし、彼の晩年は必ずしも幸福ではなかった。
小さな航空会社を運営していた最愛の息子を飛行機事故で失い深い心の傷を受けた。また1974年には元の妻ティナがアルコール中毒の末、亡くなった。
重度の筋無力症にかかったオナシスは、1975年パリの病院で、波乱の生涯を終えた。死の床につきそったのは娘だけで、ジャックリーン夫人の姿は無かったようだ。
1977年、マリア・カラスは心臓発作に襲われて亡くなった。
オナシスの娘クリスティーナは、アメリカ人と駆け落ちし、相続を巡ってジャクリーンと法廷で争い、1兆円とも言われる遺産とオナシス帝国を受け継ぎ、4回の結婚をしたがいずれも2年と続くことはなく、1987年、長年の薬物乱用で心臓発作を引き起こし37歳で亡くなった。
ジャクリーンは、1994年64歳で、悪性リンパ腫で亡くなった。
オナシス家の後継者でクリスティーナの娘、つまりオナシスの孫娘のアシーナはわずか3歳の時にオナシスの遺産を相続した。彼女のことば、「オナシスの名前は忘れたい。それが全てのやっかい事を引き起こしているのだから、もし私がお金を燃やしてしまえばやっかい事も無くなるわ」

オナシスの名前には偉大な哲学者の名前が二つはいっているが、哲学者にはなれなかったし哲学とは程遠い一生を送っている。一旦不幸になりかけたら、何とかしようとしても巨大タンカーのように急には方向転換できないのだろう。
晩年が不幸な人は、それまでいくら幸せであっても本当に不幸でみじめだ。
会社においても、定年近くの人とか役職定年になった人で、意欲が無くなり隠居のような人がいるが、使命感に燃えた今までの在職期間を無意味にする情けない態度だ。


オナシスのことば
  「世界は自由だ。私は好きなことをやる」
  「どんなときでも他人が避けて通ろうとする危険にあえて挑戦し、
    一か八かの勝負をする」
  「私はギリシア人として西側に属し、船主として資本主義に属している。
    私の好きな国は、税金・貿易制限・不合理な規則が最も少ない国だ。
      そういう国の国旗の下に私の儲けのある活動を集中したいと思う。
        私はこれをビジネス・センスと呼ぶ」


オナシスの映画
  海運王オナシス 前編 [VHS] 後編


オナシスの本
  オナシスの生涯―欲しいものはすべて手に入れた男 (新潮文庫)

  

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