良き生活習慣を滅ぼし 

ウェストンの碑

きょうはイギリスの宣教師で登山家「日本近代登山の父」 ウォルター・ウェストンの誕生日だ。
1861年生誕〜1940年逝去(78歳)。
イギリスのダービーで生まれ、ケンブリッヂ大学卒業後、リッドリー・ホール神学校で学び、聖職に就いた。
25歳頃よりスイス・アルプスで本格的な登山をはじめ、マッターホルン、ブライトホルンのほか、アイガー、ユングフラウ等の登頂にも挑んだ。
英国聖公会・教会伝導協会派遣の宣教師として1888年(明治21年)27歳のとき来日し熊本で宣教師活動をした。1895年までの日本滞在中に槍ヶ岳穂高の山々を数多く歩き、我が国に近代的な登山意識をもたらした。また、その時の紀行文により日本を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されている。
1902年〜06年にかけて来日したとき、村役場を訪れ、南アルプスの登山案内を依頼したが、当時、南アルプスは「神聖な霊山」としてあがめられていたため、最初は「外国人に山を汚されてしまう」と入山を拒んだ。
しかし、当時の名取運一村長が紳士的なウェストンの態度に感銘し、村民たちを説得して回り、村民も納得し、三人を案内人に付け、北岳の登頂をサポートしたようだ。そしてウェストンはその様子を英字新聞などで紹介した。
911年〜15年には3度目の来日をし、暇を見つけては山岳登山を楽しんだようだ。一説には教会の反感を買ったほど登山に夢中だったようだ。
彼は日本山岳会創設にも尽力し、日本古来の信仰登山からスポーツやレジャーとしての登山、ハイキングへと人々の意識を変えた。日本の近代登山発展のための貢献ははかり知れないものがあり、日本の近代登山の大恩人である。
彼はすぐれた登山家であるばかりでなく、熱心な日本研究者でもあった。日本の山々や、山村の風俗・習慣などを海外に紹介しているが、古い良き時代の日本の文化が研究の対象であった。そのような良い文化が日本の田舎に残っており、田舎の人々の生活こそ真の日本人の生活だと考えていたようだ。
これは近代文明が良き生活習慣を滅ぼしているという警告でもある。
当時の日本人にとって山、特に高い山は神聖なものであり、楽しみのために登るものではないという考え方であったが、登山をしてみると、その爽快感や達成感は並々ならぬものであった。
業務においても、これは前からそうしているとか、こうすることになっているというようなことは多々あるものだが、なぜそうなのかを考え直してみる価値はあるはずだ。日常的にいつもやっていることの意義を考えてみる必要がある。


ウェストンのことば
  「こんな眺めと向かい合っていれば、
     どんな雨の日にでも心がふさぐことはないだろう」

ウェストンの本
  ウェストンの明治見聞記―知られざる日本を旅して
  ウェストンの森―上高地・島々谷の朝と夜ウェストンの森―上高地・島々谷の朝と夜
  知られざるW・ウェストン知られざるW・ウェストン
  日本アルプス再訪 (平凡社ライブラリー (161))日本アルプス再訪 (平凡社ライブラリー (161))