妨害を受けたり   

自動紡績機

きょうはイギリスの実業家で紡績機を発明した リチャード・アークライトの誕生日だ。
1732年生誕〜1792年逝去(59歳)。
ランカシャー州で13人兄弟の末子として生まれたが、家は貧しく教育も受けられなかった。少年のときから理髪師のもとで貴族のカツラを作っていたがあまり売れず、18歳頃、故郷を離れ理髪師として開業した。このとき髪の毛を染める独特の方法をあみだし財産を築いたようだ。
この頃は産業革命の初期で、人々は職業に関係なく機械技術への関心が高く、彼も例外ではなく発明にのめりこんでいた。
当時、糸を紡ぐ紡績の仕事が布を作る工程の中で最も時間がかかっていた。彼は紡績機に興味を持ったが、紡績の知識も技術的経験も無く、独学で勉強し紡績機の研究を続けた。
そして1769年37歳の時、紡出機と撚糸機を連動させ水力で動かすようにした、能率の良い自動紡績機を製作することに成功し特許を取得した。
この水力紡績機は、紡ぐ速度が早いだけではなく、熟練した紡糸工よりも、強伸度のはるかに高い糸を製造することができ、品質もすぐれ、大量に生産されるようになった。人は機械の面倒を見なくてはならないが、この機械が働く苦しみから開放するものだと彼は考えた。
彼は、その後紡績工場を各地に次々と建てたが、中でもランカシアの工場はイギリス最大の紡績工場になった。そしてその製品がイギリス綿織物と代表されるようになった。そして彼は産業革命の結果あらわれた最初の資本家となった。
彼が、イギリスの産業革命に尽くした功績は大きく、ナイトの位を受けている。
彼の前には多くの先駆者がいたが、いずれも、便利な機械ができれは仕事が無くなるのではないかと恐れた職人や労働者達によって家を襲われ機械を壊されてしまい、多くの発明家が貧困・不遇な生涯を送っているようだ。
彼も研究の途中で、紡績機の研究をしていることが近所の人々に気づかれ出したので、大急ぎでノッティンガムへ引越しをしている。また彼が建設した工場も焼き討ちをかけられて焼失してしまったことがあるそうだ。
彼の主要な発明がどのように行われたかは謎に包まれているため、18世紀における他人の発明の最大の泥棒だったという人までいるそうだ。
偉大な発明は、個人的には理解されにくくねたみもあるし、企業間においては存亡にかかわることもあるので、いろんな妨害を受けたりするものだが、機密性を保ち最後までやりとげ、特許等で防衛しなければならない。
会社の工程改善では、改善される工程の当事者は現状を変更されるのは嫌なもので、納得してもらえないことがあるが、隠したり強制しないで、よく意見を聞いて話し合っていくことが必要だ。


アークライトの本
  ワット・アークライト・マルクス・エンゲルス 産業革命の明と暗 (ぎょうせい学参まんが世界歴史人物なぜなぜ事典)
  一世を風靡した事業家たち―アークライト/大河内正敏/タウンズ/ディズニー (竹内均・知と感銘の世界)一世を風靡した事業家たち―アークライト/大河内正敏/タウンズ/ディズニー (竹内均・知と感銘の世界)
  アークライト ワット―産業革命と科学技術 (漫画人物科学の歴史 世界編)
  アークライト―紡績機 (技術の歴史‐産業革命から原子力へ‐ (1))