良さを認めながらも   

吉田五十八

きょうは建築家 吉田五十八(いそや)の誕生日だ。1894年生誕〜1974年逝去(79歳)。
東京日本橋に生まれた。名前の五十八は父親が58歳の時の子供だったからという。子供の頃からおもちゃよりも絵をかく道具や精巧な工芸品をほしがり芸術的に早熟だったようだ。病気等の理由で留年しながらも東京美術学校(現在の東京芸術大学)建築科を卒業した。
その後、麻布に吉田建築事務所を開くが、関東大震災で焼失した。そして近代的洋風建築を見学するために渡欧した。ドイツやオランダでは美術学校在学中に夢中になっていた近代建築運動に失望し、逆にイタリアで初期ルネサンス建築に強い感銘を受けて帰国した。
その経験から、当時行われていた西欧建築の模倣設計に疑問を抱き、日本独自の伝統建築の重要性を再認識する。しかし古典一点ばりの日本建築は建てるまいと心に誓ったそうだ。
建築事務所を再開し理解のある協力者を得て精力的に仕事をした。なかでも「数寄屋建築」の近代化に専念し、吉田流といわれる独自の建築様式を完成させた。現在も「吉田五十八賞」にその名を残している。1946年52歳で東京美術学校教授に就任した。
職人の評判は今一つだったようで、彼とのつき合いに飽き飽きして逃げ出した棟梁もいるし、ノミを持って五十八を追いかけ回した職人もいたらしい。
彼の建築に対する考え方は、批判的に見る反面良い物には素直に感銘も受けている。良さを認めながらも新しいものを取り入れようとしている。
会社においても、批判ばかりではいけないが、良さを認めながらも疑問を持って物事を見る姿勢は大切なことだ。場合によってはそのまま模倣することも勉強になるし悪さ加減も見えてくる。


吉田五十八の本
  饒舌抄
  吉田五十八とその流れ (学芸和風建築叢書)
  建築家吉田五十八
  吉田五十八作品集
     
   五島美術館(東京都)    尾道白樺美術館(梅原龍三郎邸)