超越したもの   

志賀 潔

きょうは細菌学者 志賀 潔(幼名は直吉:なおきち)の誕生日だ。1870年生誕〜1957年逝去(86歳)。
宮城県仙台藩士の4男として生まれる。8歳のとき母方の志賀家の養子となり潔(きよし)と名前を変えた。医科大学を卒業し、伝染病研究所で北里柴三郎から細菌学、免疫学を学び、研究に従事した。
日清戦争後、東京地方に原因不明の病気が発生し日本全国に広がった。この病気は、高熱が出て激しい下痢や血便で死に至ることもあり、患者数9万人、死亡者2万人以上の大惨事となった。
彼は並々ならぬ努力の末、1897年細菌性赤痢の病原体として赤痢菌(志賀菌 シゲラ)を患者の便から分離・発見した。
1901年31歳の時ドイツに留学し、フランクフルトの実験治療研究所長パウル・エールリッヒのもとで結核の化学療法の研究をし、化学療法剤を開発した。帰国後、伝染病研究所や北里研究所で結核ハンセン氏病などの予防、治療法を研究した。
その後北里研究所の部長、慶応義塾大学医学部教授、京城大学総長などを歴任した。
伝染病の研究というのは、自身も発病する可能性があり、相当な覚悟と使命感が無いとできないことだ。くる日もくる日も不眠不休で研究に打ち込む姿は、熱意とか意欲、努力を超越したものがあり、敬意を表したい。そしてお陰様で幸せな生活ができることを感謝しなくてはいけない。
企業においても、いままでその企業を育て、発展させてきた先輩たちの努力に感謝するとともに、後に続く人のためにより発展させる惜しみない努力をしなくてはいけない。

★情報を共有する赤痢菌★
赤痢菌は同類の病原菌と薬に対する情報を共有することができる。
薬に対して耐性を持っている菌(耐性菌)と薬に弱い菌(感性菌)が接近し、そのすき間をトンネルで結び、耐性菌側のプラスミドという物質が暗号化した耐性遺伝子のコピーを持って感性菌に行き、感性菌は暗号を解読して自らも耐性菌に変身する。
赤痢菌同志だけでなく、同類の他の細菌(大腸菌など)ともこのような情報を共有して、薬への耐性を持つようになる。
恐るべき赤痢菌!

志賀 潔のことば
  「病人ばかり見ているのは嫌だから、人が病気にならない研究をしよう」


志賀 潔の本  志賀潔―或る細菌学者の回想 (人間の記録 (5))志賀潔―或る細菌学者の回想 (人間の記録 (5))
           田中正造・野口英世・北里柴三郎・志賀潔 (ぎょうせい学参まんが歴史人物なぜなぜ事典)