複雑に重なり合う   

エッフェル

きょうはフランスの鉄骨橋梁技術者、エッフェル塔の設計者 アレクサンドル・ギュスターブ・エッフェルの誕生日だ。
1832年生誕〜1923年逝去(91歳)。
フランスの高等教育機関の一つである名門の中央工芸学校エコール・サントラルで工業技術を学んだ。卒業後、鉄道建設会社に就職、ネヴー社の管理職を経て、1868年36歳の時エッフェル社を設立し、世界各地で活動した。
中でもハンガリーのペスト市の鉄道ターミナル駅と、ポルトガルのドウロ河のマリア・ピア橋により国際的な名声を確立することになった。
1889年フランス革命百周年を記念しパリで開催される万国博覧会のモニュメントとして、対抗案であった石造りの塔をしりぞけ、鉄の「エッフェル塔」案が選択され、セーヌ河畔に建設された。この万博は「鉄の時代」を国民にアピールするためのイベントでもあり、9700トンの鉄と250万個のリベットで組み上げられ、なんと26ヶ月の短期間で竣工した。
その後アメリカのエンパイアステートビルに抜かれるまで約40年間、高さ世界一の座に君臨した。完成当時は賛否両論だったが、100年余り経過してなおパリの象徴としてゆるぎない地位を占めている。
彼の名が一躍知られるようになったのは、1889年に「米仏友好百周年」と「独立百周年」の記念にフランスがアメリカに贈呈した「自由の女神」像を支える鉄骨を設計してからのようだ。
この像はニューヨーク港のリバティー島に立ち、右手に自由を象徴するたいまつを、左手には独立宣言書を抱えている。像の高さは46m、11角形の台座の高さが約47mで世界最大の女神像である。
これらにより彼は「鉄の魔術師」と呼ばれている。
エッフェル塔完成の4年後61歳の時、自社の社長を娘婿に譲り、以後は気象観測と高層建築上の空気力学の実験に情熱を注いだ。いわば鉄から空気へと情熱の対象を移すのである。その観測場所として地上285mのエッフェル塔の最上階が最高の場所を提供し、そこは「ムッシュー・エッフェルのサロン」と呼ばれていた。
エッフェル塔でも、自由の女神像でも、背の高い構造物は土台がしっかりしていないと、少しの狂いでも先端では大きな狂いとなって出てくる。また地震や風雨、太陽熱などいろんな悪条件が複雑に重なり合うと、想像できないことが起こる可能性がある。それに加えて耐久性とかデザイン、機能が要求されるのは当然である。それを100年以上も前に成し遂げた技術はすばらしい。
企業においても、組織の階級を多くするとトップの意思が末端まで正しく届きにくくなるし、現場の声がトップに届きにくくなってしまう。できる限り階層を少なくし、かつ土台を安定させることが望ましい姿だ。とは言っても、ガチガチにするよりは、柔軟な組織にしておく方が、問題への対応が適切にできるし、時代の流れに沿った変更もしやすくなる。


エッフェルの本  ギュスターヴ・エッフェル―パリに大記念塔を建てた男
           エッフェルとうの足音 [教科書にでてくる日本の名作童話(第1期)]


 エッフェル塔 301m