方向付けされる   

北村西望

きょうは彫刻家 北村西望(きたむらせいぼう、幼少名 にしも)の誕生日だ。
1884年生誕〜1987年逝去(102歳)。
旧名家であった北村家の四男として長崎県に生まれた。幼少の頃から屈強な体で学校の成績も一番だった。
また図工が好きで個性的で大胆な作品を作り、常に周囲を驚かせていた。
17歳のとき、教員となるため長崎師範学校に入学したが、風土病にかかり長期欠席して退学となってしまった。
このとき父の隠居所の欄間を彫ったりしたようだ。
その後、京都市立美術学校(現在の京都市立芸術大学)、東京美術学校(現在の東京芸術大学)の両校とも補欠で入学し首席で卒業した。このころ彫刻の研究会「八手会(やつでかい)」を結成し彫刻の道を歩み出した。
1917年33歳の時、文展に出品した「光にうたれる悪魔」で知られるようになり、1921年37歳で東京美術学校の教授になった。
1938年に国会議事堂内に設置してある「板垣退助翁」像を制作、1950年に長崎市からの依頼により制作した「平和祈念像」は西望の代表作のひとつである。その後、宮中に「天馬」を献納するなど数々の作品を制作した。
人生というのは何が原因で方向付けされるかわからない面があるが、彼の場合は図工が好きだったことに加え、病気で長欠したときに彫った欄間のようだ。
それを先生か両親がほめてくれたのだろう。
企業においても、たまたまやらされた仕事にやりがいを見出すこともあるし、上司や同僚に才能を見出される場合もある。しかしどんな場合でも、熱意を持って仕事に打ち込んでいる姿が無いと、見出すことも見出されることもないだろう。


北村西望のことば
  「自分は天才ではないのだから、人が5年でやることを、
    自分は10年かけてでも、やらねばならないのだ」


北村西望の本
  たゆまぬ歩み おれはカタツムリ―長崎の平和像を作った北村西望 (ノンフィクション・シリーズ かがやく心)
  百歳のかたつむり

 長崎平和祈念像
   
                   肉体の強さとは反対に穏やかな優しさがある。