不幸な境遇にあった   

ハイネ

きょうはドイツの詩人 ハインリヒ・ハイネ(本名 ハリー・ハイネ)の誕生日だ。1797年生誕〜1856年逝去(58歳)。
ライン川のほとりのデュッセルドルフで貧しいユダヤ人の子に生まれた。22歳の時父の会社が破産した。裕福だった伯父の援助でボン大学に入り法律を学び弁護士を志したが、ユダヤ人であるため果たせなかった。しかし、在学中から文学や哲学、歴史に惹かれ、1826年29歳の時ハルツ地方の旅の印象をつづった「ハルツ紀行」を発表して有名になった。
翌年「歌の本」で抒情詩人としての地位を確立した。しかしユダヤ人であるため、絶えず迫害を受けた。自由主義的な社会詩人の立場で政府を批判したことにより追放され、フランスの七月革命以後はパリに亡命した。
パリではマルクスをはじめ政治家、芸術家と交わり、革命思想をいだき、詩風も社会主義的傾向をもつようになった。しかし生活は乱れ、病に苦しんでさびしい晩年を送ったようだ。
彼は、ドイツとフランスの2つの国で生きたが、両方の国において一匹狼でありアウトサイダーだった。ドイツではユダヤ人であり排斥された者、フランスではドイツ人で異邦人だった。
彼はユダヤ人ということもあり不幸な境遇にあったが、個人的には異彩を放っていただけにいろんな人とのめぐり合いがあり、影響を受けながらもすぐれた作品を残している。その作品は「読者を親友にしてしまう」といわれ、世界中で愛され読まれている。また彼の詩ほど多くの作曲家によって取り上げられて歌曲になったものはない。
企業においても、やむをえずハンディを背負っている人もいるが、人とのめぐり合いを大切にしまじめに努力を重ねていけば、その人はかならず認められるであろうし、認められるべきである。

ローレライ
ライン川ローレライという名の岩には妖女がいて、そこを通る船人たちは、その歌声に魅せられて船もろとも沈んだという伝説がある。
  なじかは知らねど心わびて、昔のつたえはそぞろ身にしむ。
  わびしく暮れゆくラインの流れ、入り日に山々赤くはゆる。
  うるわし乙女の岩頭に立ちて、黄金の櫛(くし)とり髪の乱れを、
  梳(す)きつつ口ずさぶ歌の声の、神怪しき魔力に魂も迷う。
  こぎゆく舟人歌に憧れ、岩根も見やらず仰げばやがて、
  波間に沈むる人も舟も、神怪しき魔歌うたうローレライ

ハイネのことば
  「今や私は、キリスト教徒にも、ユダヤ教徒からも、憎まれている」


ハイネの本  ハイネ詩集 (新潮文庫)
         ハイネのおしゃべりな身体ハイネのおしゃべりな身体