疑問を持つという態度   

福澤諭吉

きょうは明治時代の啓蒙思想家・教育者 福澤諭吉の誕生日だ。1835年生誕〜1901年逝去(65歳)。
豊前大分県)中津藩の下級武士の次男として大阪堂島の中津藩蔵屋敷で生まれるが、生後一年半で父の病死にあい、一家は郷里中津に帰りそこで育った。
幼少の頃からいろんなできごとに疑問をもって接する性格であったらしく、青年期には制度封建に矛盾を感じ、まず学問の新天地を求めて長崎に出て蘭学を学び、1855年20歳で大阪の緒方洪庵適塾にて蘭学の修業に励み塾頭にもなった。
1858年23歳の時、中津藩の命令で江戸築地の中津藩邸内に蘭学塾(後の慶応大学)を開いたが、すでに蘭学が時代遅れであるとして英学に転じ、独学で英学の先駆者となった。そして幕府の翻訳官となり、1860年咸臨丸に乗って、アメリカに渡りその後もたびたび欧米に渡った。それを「西洋事情」などの著作で紹介した。
1868年、塾を慶応義塾と改名、明治維新後は新政府から再三要職に請われたが一貫してそれを断って、もっぱら一民間人として言論と教育による人材の養成につとめ文明開化に貢献した。西洋文明の移入紹介、個人国家の独立自尊等の近代精神を唱え、封建教育・封建道徳の打破に尽くした。
慶應義塾は、日本最大の洋学校たる地位を確立、出身者は新文明の指導者となった者が多い。
彼の「学問のすゝめ」や「文明論之概略」などを通して日本に近代的な文明国家に発展させる気運が指導されたといっても過言ではない。また中立主義の新聞「時事新報」を創刊し、新聞人としても多大な成功を収めた。晩年の著作「福翁自伝」自伝文学の最高峰として定評がある。
彼の考え方で特筆すべきは、現状の物や考え方に疑問を持つという態度だ。
そして現場へ行き現状を確かめ考えていることだ。
さらにすばらしいことは、自分の見たことや考えたことを書物にしたり、塾を作ったりして、多くの人に教えようとしていることだ。
企業であっても一個人であっても、このような精神は見習うべきものがある。
そして考えるだけでなく、今から実践したい。

福澤諭吉の心訓
・世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つことです。
・世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
・世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
・世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
・世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です。
・世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
・世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。 この心訓は、福澤諭吉が書いたものと言われているが、実際は偽作であるとも言われている。しかし、よくできている教えだ。



福澤諭吉のことば
  「活用なき学問は無学に等し」
  「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、    人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」
  「学問は米をつきながらも出来るものなり」
  「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」
  「見込みあればこれを試みざるべからず。
   未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者というべからず」


         
福澤諭吉の本  学問のすゝめ (岩波文庫)学問のすゝめ (岩波文庫)
           独立自尊―福沢諭吉の挑戦独立自尊―福沢諭吉の挑戦


福澤諭吉の映画  福沢諭吉 [VHS]


      生家