相通ずる心   

沢庵坂(上ノ山)

きょうは臨済宗の名僧 沢庵 宗彭(たくあん そうほう)の誕生日だ。1573年生誕〜1645年逝去(71歳)。
但馬(兵庫県)に生まれ、幼い頃より性格は鋭かったといわれる。10歳で出家し京都の臨済宗大徳寺で修行を重ね37歳で住持(じゅうじ)なったが、すぐに返上し堺の南宗寺に帰ったようだ。1629年紫衣(しえ)事件(朝廷が僧に授けた法衣を幕府が停止し剥奪した事件)で幕府に反抗し上ノ山(山形県)へ流罪されたが、権力に屈せず一貫して正論を通す硬骨ぶりは一層その名を高めることになったと言われる。
3年後 許され徳川将軍の帰依(相談役)をうけ品川の東海寺を与えられた。早くから詩歌、書道、茶道に通じ、茶人をはじめとして各界の要人に大きな影響を与えたようだ。権力、名誉、地位にとらわれず、自然を友とし無私無欲の境地を求め続け、孤高の生涯を終えた。
彼は藩政の指導において、「上中下三字の説」という政治の要諦を説いている。これは上(=主君)中(=家臣)下(=領民)相通ずる心を旨とする政治を行うべきだとするもので、封建的専制政治の当時は、先進的で画期的な方針だった。
これをもとに藩政を行ったところ、藩は50年以上も安定し実績をあげていったという。
企業においても、経営者・管理者・社員が相通ずる心で業務を行うなら、その企業の発展は確かなものとなるに違いない。

■ たくあん ■
 沢庵和尚が大根の保存方法を工夫し、ぬか漬けにしたものを「たくわえ漬け」と呼んだことが起源のようだ。当時は大根といえば煮物で食べていたので、漬物は画期的な保存食として一気に広まった。
 「たくわえ」と「沢庵」の発音が似ていることから、いつのまにか「たくあん」と言われるようになったらしい。
 沢庵和尚の墓石は「たくわえ漬け」の重しの石に似ているとか。


沢庵のことば 「心さえ潔白であれば身の苦しみは何ともない」
         「人の真の姿を知ろうと思えば、どんな人が身近にいるか、
           どんな友人と付き合っているかを観察すればよい」


沢庵の絶筆  「夢」


沢庵に関することわざ  「沢庵のおもしに茶袋(ちゃぶくろ)」
                効果のないこと。



沢庵の本  不動智神妙録 (現代人の古典シリーズ 7)
        心と身体の鍛練法―沢庵に学ぶ心と身体の鍛練法―沢庵に学ぶ
        沢庵 (中公文庫)沢庵 (中公文庫)