何ごとも無かった   

寺田寅彦

きょうは地球物理学者であり随筆家 寺田寅彦の誕生日だ。1878年生誕〜1935年逝去(57歳)。
軍人の子として高知に生まれ、東大を主席で卒業後、北大物理学助手から東大教授になる。航空研究所、理化学研究所地震研究所にも席を置き、身近な現象から物理学全体を幅広く研究した。また彼は夏目漱石の門下生として吉村冬彦の筆名で数多くの優れた随筆をかいた。
物理学の分野において多方面の研究を行っている。「身の回りの科学に注目する」ことが彼の一貫した研究方針だった。あまり経費をかけないものが多いが、その着想は素晴らしく、実験を繰り返して多くのデータを集め推理力を働かせる。その科学する態度の根本にあるものは創作であり、これは文学についても同じであると述べている。
彼の文学的才能は詩の心と科学の心が融和し、日本文学史の中に独特の位置を占めた。「学者の文知らず」という言葉があるが、彼のような名エッセイストは少なく、特に科学についてわかりやすくエッセイにまとめた文章力はすばらしいものがある。
彼は生涯に油絵、日本画、水彩画など400点以上の作品を制作している。また音楽は彼の芸術精神を満たすものであり、門弟や子供たちとヴァイオリンやチェロ、ピアノ、オルガンでの合奏を楽しんだ。その他映画やカメラなども趣味の域を越えていたようだ。
しかし彼自身の境遇はきわめて不運であった。結婚運に恵まれず2度も妻を亡くし、自身も病気がちで大病にもかかっている。科学者でありながら、文学を通じて人とその人生の洞察へ興味を持ち続けたのは、こんなことが大きく影響しているのかもしれない。
すばらしい才能を持ちながらも、自身に次々と降りかかる不幸と闘い、何ごとも無かったかのように科学研究と随筆の制作に取り組む姿は、想像を絶するものがあり敬服してしまう。
どんなに幸せな生活をしている人でも明日は不幸になるかもしれない。しかしどんな境遇においても、極力明るくふるまい人にやさしい心を持つなら、より幸せになることができるという希望をもって生きることが必要だ。


寺田寅彦のことば
   「天災は忘れた頃にやってくる」
   「科学者は頭がよいと同時に、頭が悪くなければならない
     頭が悪くなければできないことはこんなにある」
   「科学が人間の知恵のすべてではなく、世の中のしくみを
     知るための一手段である」


寺田寅彦の三十一文字 「好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物」


寺田寅彦の本  椿の花に宇宙を見る―寺田寅彦ベストオブエッセイ
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